マイケルの死に思うこと

2009年06月28日 22:20

マイケル・ジャクソンの様なアイドルは、その存在が多くの人の多くの記憶のキーになっているのだと思います。
彼の存在がなくなることで、そうした記憶に結びつく直接の手がかりが失われてしまいます。
記憶は間接的になってしまい、だんだんと関係性の大きな網の目の中に拡散していくのでしょう。
スーパースターの死に私たちが感じるのは、そういう喪失感だと思います。
マイケルと一緒に、私たちの記憶や存在も失われてしまう、あるいはその予感を感じてしまう。
死んだことを信じなければ、過去のリアリティも持ち続けられるのでしょうか?
でも、そうすると他のこととの齟齬を無視することになって理性が蝕まれることでしょう。
正気でいるためには認めなければならないこともあるのです。

マイケルに関わる多くの大切な思い出が僕にもあります。

閑話休題。マイケルの話をしていたら、唯一知っている大好きな曲が "I just can't stop loving you" だという話を聞きました。ラジカセについていた試聴のCDシングルだったそうです。YouTubeで聴いてみたら(http://www.youtube.com/watch?v=Tai2j3dVSUQ)知っている曲でしたがマイケルだと思っていませんでした。確かに名曲で、特しっとりとしたヴァースの表現力が素晴らしい。それからラジオでは聞いたことのないイントロのセリフが泣かせます。

I Just Want To Lay Next To You
For Awhile
You Look So Beautiful Tonight
Your Eyes Are So Lovely
Your Mouth Is So Sweet
A Lot Of People
Misunderstand Me
That's Because They Don't
Know Me At All
I Just Want To Touch You
And Hold You
I Need You
God I Need You
I Love You So Much

「僕のことを誤解する人が沢山いるのは僕のことがちっとも知られていないからだ」なんて言うのだもの!

フランス語ヴァージョンも発見。歌詞も読めます。なんか凄く白々しいのはなぜかしら。スペイン語も誠実な感じがします。

金子先生の会2009

2009年06月22日 23:59

昨日の谷口サンデーアコーディオントークの席で来場された方から「今年の金子先生のご命日にはなにか集まりはありますか?」とご質問を受けました。

今年も7月10日がやってきます。

いままで僕は先生の四十九日と一周忌の日に集まりをお世話させて頂きました。四十九日は小さなフレンチレストランを貸し切りで。去年の一周忌の日には大久保の居酒屋で。

さて、今年はどうしようかと思案中でした。去年の「金子先生の会」では、事情の許す限り毎年7月10日はここに集まりましょう!と叫んだ覚えがあります。大久保の居酒屋はチェーン店なのですが近くに音楽センターのアコーディオン教室があり、そこの教室生、主に土曜日の関先生の生徒さんたちが毎週飲みに行ってはアコーディオンを弾きまくっているので、アコーディオンを弾く集まりに寛容なのです。比較的大きな店なので予約なしでも使えるくらいの柔軟性もあります。

今年も同じ場所で午後7時スタートでいいかな、昨年の参加者のみなさんと先生の奥様にそろそろご連絡さし上げようかなと思っていたので、その場で今年の方針を決めて、ご質問にお答えしました。

2009年の金子先生の会は7月10日午後7時スタートです。場所は昨年と同じ大久保駅近くの某チェーン居酒屋。会費は当日の割り勘ですが、大体3,000円くらいだと思います。昨年ご案内を差し上げた皆様には近日中にご案内いたします。それ以外の方でも金子万久先生に所縁の方はどなたでも大歓迎ですので、僕までご連絡下さい。多分当日突然いらしても大丈夫です。

衝撃発言

2009年06月21日 22:23

ごぶさたしてました。先月向風師匠が来日して以来のエントリーです。もちろんその間も音楽的な出来事はそれなりにありましたが、なんだかブログが書けずにいました。その上6月7日が誕生日だったのですが、そのあたりから体調を崩して高熱を出したり咳が止まらなくなったり、要は風邪なのですが、どうにもアクセルの踏み込めない毎日。

しか〜し、今日は、そういう「打つポイントが掴めずに打撃不振」的な日々を吹き飛ばす事件があったのです!

実は本日6月21日は谷口楽器サンデーアコーディオントーク第44回がありまして、不詳ワタクシメが何回目かの講師を務めさせて頂きました。テーマは「ミュゼットについて」。今思えば桑山哲也氏の向こうを張って「みんなのミュゼット」とすれば良かったと思っています。
 客入れにエットーレ・スコラ監督の映画「ラ・バル」冒頭30分の1930年代のダンスホールにミュゼットが流れるシーンまでを流し、ミュゼットと聞いて連想する音楽の代表で桑山哲也「哀愁のミュゼット」をPrima!のデュオヴァージョンで紹介する寝床振りで始まりましたが、1992年アルベールビル冬季オリンピックオープニングイベントの映像でミュゼットがフランスの国民的音楽であることを示し、一小節単位に揺れる人たちを見ることでワルツミュゼットのノリも知ってもらいました。
 ダカンの「ロンド形式のミュゼット」を実際に弾いて現代のミュゼットとは似ても似つかないのは、本来ミュゼットとはバグパイプのことなので、バロックのダカンやラモーの曲のミュゼットはバグパイプ風の繋留音と装飾音を用いたスタイルの曲であると説明。Youtubeで見つけた「フランスのバグパイプの1000年間」なるリサイタルの抜粋映像が役立ちました。
 続いて、オーベルニュ地方のバグパイプと、イタリア移民が持ち込んだアコーディオンが融合した、バルミュゼットの成立を語り、20世紀初頭のミュゼット創世記の巨人ヴァシェとペギュリ兄弟の名曲を次々とお聴き頂きました。
 最後は金子万久氏が生前ミュゼットを語った文章を紹介して、そこに触れられた昭和初期に日本でも大流行したモリス・アレキサンドルの「パリの屋根の下」を聴いてお開きとなりました。

お足元の悪い中をお運び頂きという常用句が何の違和感もなく使える凄く天気の悪い日であったこと、そもそも知識系の日は入りが悪いこと、前回と違って僕自身がなりふり構わず営業努力に励まず、このブログでさえ紹介していないことなど相まって、動員が10名を切りましたが、皆さんに熱心に僕のお話しをお聞き頂き、ミュゼットの名曲は当然うっとりと聴いて頂けて悪くない出来だったと思います。

さて、最大の衝撃はトーク終了後に参加者の方とお話しやご挨拶をしている時に襲いました。「CDは出してないんですか?」って僕に訊ねた方がいらしたんですよ! 本当にビックリしました。横で聞いていた谷口楽器の社長も驚かれたようで「CDを出すには練習が足らないね」と素で反応していた位でした。それは僕も同感。しかしこれ以上何を言えば良いのか途方に暮れる感じがあるので、久しぶりに出てきてアレゲですが、今日のブログはここで終わりにします。

向風三郎来日

2009年05月07日 14:40

僕にとって、世間のいわゆる黄金週間は、29日のアコーディオン教室の発表会で始まりました。翌日の木曜日は休日でしたが、腑抜けてしまって無為に過ごし、5月1日はメーデーでしたが日本人だから普通に働いて、翌日も仕事(僕は土曜日が勤務なので終日の木曜日が休日なのです)。要するに連休前半をアコーディオン発表会とその余韻を感じて過ごしました。

後半は、向風三郎ウィークでした!

まず、トークショーが2日の夜にありました。

「音楽夜噺」第35夜(2005年より都内の各所で開催されてきた、音楽の現場の人々によるトークイベント「音楽夜噺」がUPLINKに初登場。30年に渡ってパリを拠点に音楽ジャーナリストとして数々の文章を日本に送ってこられた向風三郎さんをお招きします。ヨーロッパにおけるポップスの拠点であると同時にアフリカ/アラブの音楽の世界への発信基地でもあったパリで暮らしてこられた向風さんの語るポップ・フランセーズの30年。聞き手は、向風さんとも長い付き合いで「音楽夜噺」には初登場となる松山晋也さんです。)
ゲスト:向風三郎(音楽ジャーナリスト)
聞き手:松山晋也(ライター)
日時:5/2(土)18:30開場/19:00開演
料金:¥2,000(1ドリンク付き)
場所:アップリンク・ファクトリー(〒150-0042東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F tel.03-6825-5502)

僕には向風三郎こと對馬敏彦a.k.a.カストール(海狸)爺がポップ・フランセーズの師ですから、とうぜん駆けつけましたとも。
向風三郎(右)松山晋也(左)よくわかるフランソワーズ・アルディ
トークショーは音楽評論家の松山晋也氏が進行され、向風師は持参のiBookを駆使されレジュメをプロジェクションしつつ2時間強で22曲もの曲を紹介しての大車輪でした。「全部独りでやってますから」と、ぼやきつつも、もちろん大いに語り、「喋りすぎてます」と言っては曲に移るスタイルでした。途中で映画『グランプリ』の1シーンも紹介されました。

僕は、ポップ・フランセーズの鳥瞰図的なものを予想していて、はたしてそれが1夜で語れるかスリリングな思いで臨みましたが、実際には「もう森へなんか行かない―フランソワーズ・アルディとフレンチ・ポップの40年」と題され、昨年自伝が出版されたアルディーに焦点を絞ってのお話しでした。現在発売中の雑誌「ラティーナ」連載「 それでもセーヌは流れる」第15回「アンニュイを生きる、フランソワーズ・アルディ」とご自身のウェブログのここしばらくの記事(アルディの自伝を語りつつ爺の個人史を繙く「もう森へなんか行かない 林もアルディよ」2月17日、ベルジェとヴェロニク・サンソンがイェイェの終焉を告げたとのアルディの証言を伝える)「ヴェロニク・サンソンを(もっと)抱きしめて」2月23日、バシュングの訃報がアルディで終わる「アラン・バシュングが亡くなった」3月14日、アルディ出演の映画『グランプリ』製作当時のフランソワーズ・アルディーの立ち位置を検証する「しらんぷり」3月31日、フランスにおけるブリティッシュ・サウンドの影の仕掛人の発掘盤を紹介しつつアルディのサウンドにも言及した「イギリス人は利口だから水や火などを使う」4月18日)で語られた「フランソワーズ・アルディ漬けの日々(「しらんぷり」より引用)の成果でした。

昨晩は師を僕の地元にお招きし、かつての「東京ヴァリエテ倶楽部」の残党で囲んでのお食事が出来、その後で拙宅に皆で流れて話し続けて、この連休を終われ、実に有意義に感じています。僕は今日も木曜日なので休日ですが、余韻を楽しみつつ特に何もせずに過ごす予定です。今頃、向風師はパリへ向かう空の上でありましょう。Bon voyage!

ずっと夢をみてた 今もみてる

2009年05月04日 10:23

キヨシローが亡くなった。
それ自体は、本当は関係ないはずなのだけれど。
日常的に接しているわけではないからね。
音楽的にも完結したひとという印象があったし。
いってみればシド・バレットの訃報を聞いた印象に近い。
イアン・カーティスとか、エリオット・スミスのような死とは違う。
それでも、喪失感はそれなりにある。

いつものように追悼のテレビ報道を見てしまって違和感を覚える。
RCは最初からロックバンドだったのか。
一貫した反骨のカリスマ、立派な忌野氏なんて知らないよ。

「スロー・バラード」が最初にシングルになった時に、北海道のDJがやたらと入れ込んで毎週かけていた。関西に住んでいたのに、どうしてそれを知っているかというと、日曜日の深夜は日本中のラジオが放送を終わってしまって、それしか聞こえる番組がなかったから。だからといってヒットはしなかったしレコードは廃盤。あのときにRCにアツくなった人は他にもきっといると思う。「雨上がりの〜」ころには嬉しかったけれど、なんか醒めていたのは僕と同じだったんじゃないかな。それはキヨシローもそうだったのかもしれない。

「僕の好きな」キヨシローのベスト3
「宝くじは買わない」:テラ銭取られるのがシャクだからではない。
「ひとつだけ」:「SEIJO,ダンシング・フェローズ〈卒業篇〉」でも有名(?)な矢野顕子の曲のカヴァー。「へんヨイ」のイベント。音源は教授のラジオ。これ、リアルで聴きました。「オイラのこと、すぐに呼び出してイイゼ」呼び出して来ても怖い猿の手。
「デイリームビリーバ」:猿繋がり。

歓喜の行方

2009年05月04日 09:33

4月29日はアコーディオン教室の発表会でした。3月24日に「発表会近づく」というエントリーで告知した発表会でして、「音楽センター柴崎教室第3回発表会 Freude mit Akkordeon」であります。

すでに、告知ブログご来場の御礼メッセージがアップされ、このブログやウェブサイトでお世話になっている木苺茨さんにもお越しいただき、ご自身のブログ空亡剤-solanax-「音と造形に表れるもの」と題しての感想をアップして頂きました。

くどうえりさんの「せせらぎ 木漏れ日 そよ吹く風」でも採り上げて頂き、金子万久先生の教室で同門だったshihoさんもいらしていて、彼女のユニット「からし種キャラバン」のブログに記事が載りました。今はちょっとお休み中の柴崎教室生foohtaさんのブログ「びたみんAcco」にも。

教室生の「かなかな」さんが東京でアコーディオンのブログを書いている人がほとんど来たのではないかとおっしゃっていましたが、236席のホールで開演時に約100人のお客様を数えましたし、延べでは150人あまりの入場があり、教室生、スタッフや関係者が40人ほどですから、ほぼ席が埋まった印象がありました。会場も内容もだんだん良くなっているのは嬉しい限りで、今回の角筈区民ホールは4月に改装してリニューアルオープンしたばかりでとても気持ちよく、新宿区民として抽選に赴いた甲斐がありました。来年はもう一度角筈か、牛込箪笥にグレードアップか。ランクを上げるとキャパは150人増えて客席が寂しくなる心配があるし、料金も5割近く増えるので難しいところです。

自分の演奏を振り返ると、出来るだけのことは出来たという満足感と、出来ることしか出来ないことへの不満が交錯する複雑な心象になりますが、ある程度自分の状況が見えるようになったことが一番の進歩かもしれないと考えています。

デュオPrima!の相方Mnoさんに第一に感謝。そして、もちろん柴崎先生、家族友人をはじめ、聴きにきて下さった皆さん、僕の音楽生活を支えてくれているすべての人たちに感謝と御礼申し上げます。


才能の素晴らしさと空しさ

2009年04月09日 22:00

あまり皆さんはご存じないかもしれないPerfumeの「気になる子ちゃん」も終わってしまい、「(なるたけ)必ず見るテレビ番組」がいまや僅かになってしまいましたが、木曜日の「5時に夢中!」は出来る限り毎週見ています。

今日のその番組内でコメンテーターの作家、岩井志麻子女史が東京で上演中のカナダのサーカス団体シルク・ドゥ・ソレイユの今年の演目「コルテオ」を見にいらしての感想で「努力の素晴らしさと空しさ」について語っていらっしゃいました。

素晴らしいパフォーマンスは多くの人々の努力の結晶である。人間が信じられないほどの努力を注ぎ込むことで達成できる成果を目の当たりにすると努力の素晴らしさを実感できる。これが「努力の素晴らしさ」。

しかし、あのようにパフォーム出来る人たちは神に選ばれた人たちであって、常人が空中ブランコをしようと思い立って仮に1日30時間の努力を続けても、あのようなパフォーマーにはなれっこない。つまり「努力の空しさ」もあるのである。

そういう趣旨のお話しでした。

それを聞いて、仮に岩井志麻子女史であっても僕であっても空中ブランコをしようと本気で思って毎日努力できれば、それなりになってしまうのではないかと思うのは甘いのかな。もちろん、最高レベルには達せないし、空中ブランコの名に値するものにさえならないかもしれない。別のものになるかもしれない。でもなにかしらにはなるだろうとか。

最高でないとだめだと思うと、本当にだめだとは思います。誰もが何らかの才能を持っていることは素晴らしい。ただ最高の才能を誰もが持っている訳ではない。皆が同じように持っていては最高の才能ではないのだから。それは空しいことなのかな。

風の趣くクマ

2009年04月07日 22:00

友人のアコーディオニスト田ノ岡三郎氏に発売前のニューアルバム『風の趣くまま』を送っていただきました。田ノ岡氏は、僕がアコーディオンを始めたばかりのころ、最初に生で聴いたプロ奏者で、彼の定期ライブや、ヘブンアーティストとしての活動場所に通っているうちに、共通の友人がいることもわかり、なんだか親しくしていただいています。温かくも真摯なお人柄はJAAの機関誌のインタヴューをごらん頂けばおわかり頂けます。近年はマルチに活躍されこんなキャラでも…。

去年は関東アコのゲストにも来ていただき、ゲストコーナーの司会をさせていただいたのも楽しい思い出です。

今回発売になるセカンドアルバムには僕がタイトルをつけさせていただいた「夏の想い」が収録されていることもあり、クレジットのスペシャルサンクスに僕の名前が載っているのが、ちょっと、いや大層自慢です。

レーベルのサイト全曲をちょっとずつ試聴できるページがあります。是非聴いてみて下さい。

僕のお勧めは、ジョビンの「ルイザ」と團伊玖磨の「花の街」。「花の街」はJAAの総会のアトラクションでの実演も記憶に残っていますし、田ノ岡ヴァージョンの楽譜も入手可能です。オリジナルではやっぱり「夏の想い」が良い曲です。

名前のイストワール

2009年04月06日 22:00

昨日、平間さと子さんのライブ後にCDを買った際、CDにサインをして頂きました。基本的にサインにこだわりがないので、あまり「サイン下さい」とはお願いしませんが、「サインしましょう」と言って貰うとちょっと嬉しかったりします…。フランスでアコーディオンをお習いしたナタリー先生がご自身のCDにサインをしてプレゼントして下さった時とか嬉しかったなぁ。

そのとき平間さんが「かっちさんへ」と書きましょうとおっしゃって、その日のライブの日程のを確認するために掲示板に質問しただけなのに、僕のハンドルを覚えていて下さったのに、かなり感激しました。しかも「。」がつくのにはこだわりああるんですか?とディテールまで確実な記憶にシャポー。平間さんありがとうございます。

で、今日は僕の現在のハンドル「かっち。」の由来と「。」のこだわり(?)について。

僕が初めてネットで書き込みをした場所は、もう存在しない對馬敏彦a.k.a.向風三郎師のウェブサイトの掲示板でした。そのときに「かつっち」になりました。

よくあるパターンで本名のアレンジです。そのときは無意識でしたが、「〜っち」と呼び名をつけるのは、僕が通っていた中学高校に附属小学校からあがった連中が小学校時代にやっていた流儀でして、中学から入った僕には「〜っち」と呼び合う附小組の仲の良さが羨ましかったのかもしれません。それがふっとこころのひょうめんにふじょうしたのでしょうか。

ときどき言われるけれど「たまごっち」とは関係ない。

それ以来、ウェブでは「かっち」で通していました。

その後、あるとき「かつっち」を「かっち」と間違えた方がいらして、そのときにすかさず「かっち」に改名したのでした。これは前から考えていたことで、間違えられたら、どんどんその名前に変えていこうと方針を決めていたのです。発想の元は現代音楽のとある曲にあります。全員で同じパターンを繰り返し演奏するけれど、間違えた奏者は間違えを繰り返さなければならない。そのルールで長時間続けるとモアレのような音楽が織り上がる、そういうミニマル音楽があったのでした。

で、次は「かち」に改名する機会もあったのですが、「そんなに名前を変えてどうするのか」「そもそも悪趣味」というもっともな批判を受けて、改名は止めたのでした。

それから「かっち。」と「。」を付けた理由もバカバカしいもので申し訳ないのですが、ネットにハンドル占いというのがあったのです。それを仲間内の皆でやってみたら、僕のハンドル「かっち」はあんまり結果が良くなかったのです。ハンドル占いを載せていたウェブページには、こうすれば運勢が最高になるプチ改名のサジェスチョンがあって僕の場合は「。」の付加がお勧めでした。それで「かっち。」。そのとき「〜大佐」になった友人とかいました。

だから「モーニング娘。」とも『元気です。』とも関係は無いのでした。

三文字は聴けず

2009年04月05日 22:00

平間さと子さんというピアニストがいらっしゃいます。ご自身のウェブサイト写真ブログブログをごらん頂けば、そちらにプロフィールもありますが、ソロのピアノでオリジナルのインストルメンタルを演奏される方です。

この方を知ったきっかけはラジオで、たまたま関西に行った折にNHK-AM第1放送の大阪制作の番組で流れた「三文字」というタイトルの曲が非常に印象に残りました。そのときの印象は「歌のないクラムボン」。謎めいた曲名とともに平間さと子の名前を覚え、自宅に帰って検索したところ、関西を中心にインディーズ活動をされてました。これが2年ほど前のことです。

年に1回くらいはある東京でのライブになかなかタイミングが合わなかったのですが、今回たまたま家の近所で無料ライブがあり予定があったので聴いてきた次第です。

よく考えると1曲を1度だけずっと以前に聴いた印象だけなので、実際の演奏は結構イメージと違いました。それに肝心の「三文字」が演奏されなかったのです。

そこでアーティストから直接CDを購入して帰宅。早速聴いてみるとちゃんと記憶通りの曲でした。他の曲とテイストが違うし、特にCDに入っていない最近の曲とは方向が違うので、ライブから外れた理由もわかったような気がします。

ちょっと特別な曲の気がします。どんなアーティストにもある特権的なレパートリィ。NHKは、よくぞ他でもないこの曲を紹介してくれたものだと思います。ラジオ深夜便は侮れない(2009年02月19日)でも触れましたが音楽番組ではなく普通の中波の天気予報の前とかところにより道路交通情報の背景になる歌のない音楽が何気にレアです。そういうインストの委員会があるか、インストの鬼か達人がいて情報提供しているのかもしれないとか妄想してしまいます。

(余談)ミステリアスな「三文字」という題名の謎は、CDのインナ・スリーヴを読んだらなんとなく察しがつきました。要するに一種の伏せ字です。でも、背景になる詩が掲載されているので、あれじゃないかとか考えられます。

(追記)最近、更新が滞っておりましたが、3月30日以降のエントリーも徐々に埋めていきますから宜しく。

ジョン・テュィルリー・ウラル

2009年03月29日 22:00

昨日のエントリーのジョンレノンのアコーディオン演奏写真について「英語なのでよくわからない」と匿名氏よりメールを頂きました。ブログでは名前と文面は伏せるようにとのことなので、匿名氏です。僕だって、なんでもかんでもそのままブログのネタにする訳ではないので、感想や不明の点など安心してメールを頂ければと思います。

さて、お問い合わせの内容は

この写真が「愛こそはすべて」の衛星中継が1967年6月25日に行われた際に撮影されたものであることは、既存のデータによって示されている。ジョンが左手のベースボタンを演奏しておらず,左手は蛇腹に空気を送っているだけなのに注目されたし。

であります。他にも有益な情報はありますが、あの写真に関してはこういうことでした。

それから、発表会準備も着々と進んでおります。こちらは反応がなくて残念ですが…。今日の午後もアンサンブルと合奏のグループレッスンがありました。僕がデュオで弾く「テュイルリー公園にて」も、全員合奏のロシア民謡「ウラルのぐみの木」も、なかなかの出来が期待できそうな練習の仕上がり具合でした。僕はともかく、デュオの相棒のM野さんとか、全体練習にいらした皆さんとか。

反省して訂正

2009年03月28日 22:00

このブログの3月18日のエントリー夢を報告するで「我が師である向風三郎のカストール爺名義のブログ「カストール爺の生活と意見」2008年12月8日 Ma plus belle histoire d'amour...」を紹介して引用しました。「シャンソン愛好者ならギフトとしてもらったら感涙ものでしょうね」とカストール爺がブログで紹介したCDを実際にギフトとしてプレゼントされた幸福を語りました。

実は、カストール爺様のブログに:

バッキングはオーケストラではありません。バルバラのピアノとロラン・ロマネリのアコーディオン(非電気アコと電気アコ)だけです。アコーディオンに電気増幅装置を取り付けた最初の人がフランシス・レイである,という伝説があります。「男と女」「パリのめぐりあい」「白い恋人たち」,ずいぶん後年になってあの音がアコであると聞いて驚いたものですが,原理は電子オルガンと一緒なんですから驚くには当たらないのかしらん。このライヴでもロマネリの電気アコは,電子オルガンのペダルキーみたいな低音まで出たりするから,ほとんど「ヤマハ・エレクトーン」状態です。私はつい数年前まで「エレクトーン・アレルギー」みたいなのがありまして,あの安上がり結婚式みたいな音色に虫酸が走ったものです。セヴンティーズの音ですよね。なぜこのアレルギーから脱することができたかと言うと,多分90年代の一時期アコーディオンばかり聞いていたからなんだと思います。(つじつま合ってるかな,これ?)

こういう記述があったので、「アコーディオンの人『かっち。君』」は:

電子アコはまんまエレクトーンですが、内部にマイクを仕込んだ電気アコもあります。90年代からはmidi出力になり、今ローランドやキャヴァが作っているのはシンセアコです。ピエルマリアに仕込まれているのもイタリアのメーカーのシンセアコ。シンセアコは音源内蔵で蛇腹にエクスプレッションのコントローラーがあります。

とコメントして、それだけで止めておけば良いのに:

ビートルズのアンソロジーを聞き返していたらミスターカイトのベイシックトラックのキーボードがアコーディオンだったと気付きました。ジョンレノンがホーナーのゴラ(今は定価だと500万円くらいの楽器)を弾いている写真がアコーディオン界では有名で何の曲で使ったのだろうとずっと思ってたんですが、デモテープの様なアンプラグド・ヴァージョンだと電子加工されていないので明確にわかったのです。
 あと、ジェスロタルとかで意外にアコーディオンを聞いているものなのです。

なんて、ついでに知ったかぶりをしました。

ところが、今日『真実のビートルズ・サウンド』(川瀬泰雄著・学研新書・2008年)を読んでいたら、あの音はハーモニウムだったと判明。昔の学校にあった足踏み式リードオルガンでありました。

ジョージ・マーティンは後年、あの曲の録音ではハーモニウムを何時間も弾き,足を動かし続けてくたくたになったと述懐している(前掲書134-135ページ)

だそうですから、これは確実です。

あわててネットで検索をかけるとAccordion BeatlesというウェブサイトのJohn Lennon played accordion!という記事が簡単に見つかりました。件の写真は「愛こそはすべて」のセッションだったそうです。そのサイトには、非常にためになるThe Beatles and the Free-Reed Instrumentsというウェブページへのリンクもありました。ビートルズとフリーリード楽器に関しては完璧な資料です。

やっぱり、ちゃんと調べないといけないと反省もしましたが、なんでもわかる世の中になったなぁといつもの様に感心しました。

発表会更に近づく

2009年03月27日 22:00

3月24日は、たったの3日前で、その日に「発表会近づく」という題のブログを書きました。

その時点で「発表会まであと36日」だったのが今日は「あと33日」ですから、たいして近づいた訳でもなく、8パーセントくらいですが、気持ち的には近づいています。

やっぱり集中的な練習を始めたからなのと、曲の全体像がおぼろげながら掴めてきたからです。一昨日は僕の個人レッスンだったのですが、楽器のベルト修理の関係でM野さんが教室にいらしたので二人で1時間ほど練習して、僕のレッスンでも二人の演奏を先生にみていただきました。

もう、ずいぶん音楽をやっているのに、いつまでも発見があるのが実に楽しい。明後日の日曜日は大合奏曲の全体レッスンと、アンサンブル曲の個々のレッスンを一同に会して行う日なのですが、当然、他の方々が先生にみていただいている間は、デュオの練習をやるわけなので、3時間位練習するのではないでしょうか。実に楽しみ。

ところで、チケットの問い合わせが、いまのところありません。ちょっとさびしいので宜しくお願いします。販売ノルマとか無いのですが手持ちの分がほぼ手つかずなもので…。

泣いてバシュングを聴く

2009年03月26日 22:00

3月14日は日本ではホワイト・デーでしたが、フランス人にはアラン・バシュングが亡くなった日として記憶に残ることとなりました。

おそらくフランスではほとんどの人が知っているバシュングですが日本での知名度はほとんどないと思います。google で検索をかけても日本のメディアで訃報が伝えられた形跡は今日までほとんどありません。唯一見つけたのがこういう記事

フランスの有名歌手=アラン・バシュングが死去 カトリーヌ・ドヌーヴ等著名人が葬式に参列(2009年03月21日18:06 @=フランス/パリ)

フランス音楽界で人気を博していた歌手のアラン・バシュングが肺癌のため14日に他界し、20日にサンジェルマンデプレ教会にて葬式が行われた。

式にはフランスを代表する女優のカトリーヌ・ドヌーヴの他、歌手のラファエルとパートナーの女優メラニー・ティエリー、英国シンガーのジェーン・バーキン等が参列した。

写真(仏女優カトリーヌ・ドヌーヴが歌手アラン・バシュングの葬式に参列)2009年03月20日撮影 (C)Francois Durand/ゲッティ イメージズ @=フランス/パリ

で、TimeWarpというニュースサイトでした。記事をお読み頂いてわかる通り、バシュングの死を報じるというより、弔問客を話題にすることに軸足が置かれています。

つまり、日本のメディアはバシュングが亡くなったことを伝えていない訳です。もちろん、いくつかのブログが扱っています。

 医療ジャーナリスト宇山恵子の取材日記記事

 FRENCH BLOOM NET-main blog(フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える)アラン・バシュングの死を悼む

筆者の方々は、それぞれ「医療ジャーナリストで英仏通訳」だったり「仏語非常勤講師。専門は18世紀仏小説」しますから一般の日本人とはインタレスト(興味関心・利害関係)がことなります。

もちろん、我らがカストール爺の生活と意見でもアラン・バシュングが亡くなったとして語られました。これは昨年のバシュングが肺がんと闘っているの「続報」です。

この10日間あまり、折に触れて色々なことを考えました。毎度お馴染み日仏の温度差、フランスは相変わらずあまりに遠く、バシュング祭りとしての今回のヴィクトワール賞の意味が伝えられないこととか、人が亡くなることの意味とか。バシュングが日本では映画『フェリックスとローラ』に出演している「フランスでは人気の歌手」であることとか。

バシュングに関する評価は僕も同じで、結局は「歌手」なのだと思います。ルーツはカントリーとブルーズ。それはデイヴィッド・ボウイーとか沢田研二といった人たちがロックミュージシャンであるより歌手であるのと同じで、スタイルよりも存在が際立つ人種の一人なのでしょう。

僕が一番好きな「スタイル」のバシュングは、Les Valentins と作った1998の«Fantaisie militaire»。実は一般に最も評価の高い作品だけれども、良いのだからしょうがないです。

あんまりな歌

2009年03月25日 22:00

昼過ぎにテレビを点けたら、映画の放映が始まったところらしく、クラブの歌手に扮したキム・ベイジンガーが歌うシーンでした。僕は映画は最初から見たい口なので続きは見ませんでしたが、その曲は気になったので調べてみると、コール・ポーター作のスタンダード・ナンバーでした。

1928年にヒットした Let's do it はポーターの出世作だそうですが、歌詞が際どいというより露骨。おそらくそれ故に Let's fall in love という別題があるのでしょう。とにかく最初から最後まで「〜もしている、〜もしている」のオンパレード。それから「しましょう」なんだもの。テレビの字幕では「すれば愛は後からついてくるわ」とあったけれども、そういう内容は歌われていませんでした。そのまんまではあんまりだから、ちょっと美化したのかもしれません。

それから、列挙される動物やら民族の表現が差別意識を感じさせるので、両大戦間ならともかく現代では完全にNGです。カンガルーは怒らなくても日本人は怒る。

そんなわけで、今回は歌詞をちゃんと紹介するのは控えます。

問題は、これが良い曲で、歌詞もそういう部分に目がつぶれれば出来が良いことです。