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犬紙

2006年06月17日 14:03

このキャラにはやられました。
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今年もお世話になりました

2005年12月31日 15:55

2005年も、あとわずかです。 「探偵!ナイトスクープVSクイズ!紳助君 人気番組ガチンコ対決 3時間半スペシャル…▽これを見なけりゃ年を越せない…北極からスーパーお年寄りまで爆笑と感動の特選VTR大激突」を見たり、奈良のバスのタッチ式のプリペイドカードがCICAで「シーカ」と称するのはなんだろうとか、バスの中に「あの関西京都今村組と!!新春青春ダンス大合宿」というチラシがあったけれども「あの」と言われてもなんだかわかりませんとか、そういう年の瀬です。関西って文化が違うなといろいろ思います。 僕には今年は結構長い1年でした。1年前とずいぶん違った人間になった気がします。 そして来年の今頃は、また違っているような予感があります。どうしたことでしょう。 具体的にはアコーディオンで初心者の部3位入賞が今年の成果です。 来年はとりあえずチャージの取れるライブ出演が控えていますし、それ以外にもなにか結果が出せればと思っています。 いろいろ決意表明したり報告したりもさせていただきますね。 今年はお世話になりました。来年も宜しくお願い致します。

12月24日クリスマス会@初台テラタイ

2005年12月25日 17:27

クリスマス3日連続宴会第2弾は友人たちと。 しかも会場のここも友人の店なので強力に宣伝したい。初台の旭軒terataiは良い店でした。 基本的に飲み屋らしい。deli/bar のデリはデリバリーですか? とマダムのKちゃんにきいたらデリカテッセンです配達は出来ないと、力強く答えてくれたのでした。モーニングとかランチはないの? には、他の仕事が出来ない! おぉ。

レッスン・Vアコ・アンドレリュウ

2005年12月22日 20:51

「すっかりお休みですね」 「実質火曜日の午後4時で仕事が終わりましたからね」 「それから何してるんですか?」 「とりあえずたるんでます」 「ブログ書きなさいよ」 「そうですね。報告することとかいっぱいあるし」 「ちょっと前のことになると書く気がしないんでしょ」 「そんなことないですよ。でも理由はわからないですね」 「ところで私たちキャラの区別が付きませんね」 「だって一人で書いているんだからしょうがないでしょう」 「とりあえずわしだけでも関西弁にしよか」 「わざとらしいからやめなさい」 「そうでんな」 「やめろ」

回帰する感覚

2005年12月09日 02:44

今日はなんだか気分が悪くて(体調は悪くない)早寝をしたら夜中に目覚めました。 不思議に気分が良い。からだの中に軸が帰ってきた実感がありました。自分が借り物ではない感じ。 いろいろあったし、いろいろあるけれど、少しはましになりそうな気分です。

噴水とSS

2005年12月06日 16:56

仕事が農繁期真っ盛り。そういいながら忘年会に向けて「サ・ガーズ」の練習などしたりする午後。 気分を変えようとテレビを点けたら大噴水が。「ジュネーヴだ!」と思うと手前に浮御堂があり和服の女性が佇んでいます。2時間ドラマのクライマックスのようです。次のシーンでは自殺したらしく浮かんでます。可哀想な藤谷美紀さんですが、ナレーションが流れるとシバヤマガタという地名らしいけれどどこでしょう。

てれたびぃず

2005年11月22日 16:14

職場に紫色のフリース着て来た人がいて、ちょっとぬいぐるみっぽい体型なので(失礼にも程がある!か?): 「ティンキィウィンキィだ! ティンキィウィンキィだ!」と盛り上がったのだけれど、誰にも理解してもらえない。もしかして色を間違えているのかと調べてみても紫はティンキィウィンキィに相違ないのに…。(ティンキィウィンキィは男の子で赤いハンドバック持ってるんだよ。) その調査過程でこんな情報も入手。欲しいなぁ「テレタビーズの中身」:「あの赤や紫の服を脱いだ状態のテレタビーズのフィギア」。「普段は見えない第3の目が額にあって、おまけに噛みつき、火をふく」とは! 昔イタリアの市でいかにも怪しげなバッタモンのテレタビ人形を売ってて、なんとそれが5色だったのを思いだしました。ちなみに余計だったのはブラックで、きっとあいつは悪のテレタビー。買っとけば良かったなパチテレ。よもや偽ブランド品として成田で没収もなかったろうし。 それはともかく、仕方なくトーンダウンして「テレタビーズって知ってる?」と訊いても周囲では誰も知りません。テレタビーズも過去の人(?)なのか。そもそも知名度低いのか。残念。

東京アコーディオン教室(金子万久先生)など

2005年11月17日 21:58

 アコーディオン的にもいろいろと事件のあったこの1ヶ月ですが、その辺は後日の書き込みでおいおい明らかにするとして、金子先生のレッスンは順調に続きつつも小康状態です。『アコーディオンポピュラースタンダード』を最後の「佐渡おけさ」まで一応通し、LET'S PLAY ACCORDION 36に移って「ハンブルグの居酒屋にて」「聖者の行進」をさっそく弾き、来週の課題は「子鹿のバンビ」と「お江戸日本橋」。ここしばらくの集中レッスンは「枯葉」のEmクープレ付きですね。以前弾いたのがAmルフランだけのLET'S PLAY~の簡単ヴァージョンだったので、やっと本物を弾く許可が出た訳で感無量であります。  昨日は「TRICK」(鏡文字が表示できない)の特番を見ているうちに眠くなってしまったので今日続きを見ましたが、どうも仲間さんが「松岡きっこ」に見えて興醒めです。チョウザメならキャビアで素晴らしいのですが…。  最近物欲が部分的に暴走していて、ゲンズブールの日本語字幕付きDVDを買ってしまいました。その前に買った古本の「涼宮ハルヒ」8冊セットも今日届いたのですが、「ザ・スニーカー」最新号(付録の文庫本専用boxが欲しかった)をアマゾンで買おうとしたら送料がかかるので以前から欲しかったゲンズブールを勢いで一緒に注文してしまったのです。ゲンズブールのドキュメンタリーは昔のヴィデオ(4本組でジタンのデザインの箱に入っている)も家にあるしDVDのフランス盤も買ったので3種類ある訳で、そういえばCDの全集も持ってるし、いやはや大ファンなことであるなと思う今日この頃。

今日の日記は’フィクションです

2005年11月16日 21:43

みなさんご免なさい。もうボジョレ・ヌーヴォを飲んじゃいました。 なんだかわかんないけれどもフルーティーで美味しゅうございました。 本当はね、今日はね友達の、っていうか、友達だと思うんだけれども違ったら悲しいなあと思うところの山本の直樹ちゃんとか、とり・氏とかのライブに行ってその他のご友人の皆さんと旧交を暖めたりしたかったのね。 ところ~うが、職場でさぁ、気が付くと7時なんだもんね。6時半開場、7時開演で「混雑が予想されますから当日券の方は早めにお越し下さい」のライヴなんて行かれないよぅぅぅぅ。 と~ころが(さっきと音引きが違うの)拾う神あれば捨てる神あり、それは逆か。帰り路にある酒屋さんがね「あのほら例のものはまだ並んでませんよね」とか言ったら「いいですよ」なんて言ってくれてね、あまりの御厚意にビオのちょっと高めのそれを買って、 もう飲んじゃったの。 現在日本時間16日午後9時34分なんですけれどもね。あ、今日の日記はフィクションです。全部嘘ですから宜しく。 久しぶりの日っ記です。こういうのを酔った勢いというのでしょう。もう時空なんて超えてまっす。だってさぁ、某ジョレ・ヌーヴォは呑んだしさ。さっき見たのは『あたしんち』のアニメで今テレヴィで見てるのは『TRICK(鏡文字が表示できません)』だもんね。家にはタイムマシンがあるのさ。一方向にしか作動しないけれどもね。それって世間ではヴィデオデッキっていうんですが。

邂逅(ラディゲの小品)

2005年11月14日 03:06

職場に書物を寄贈するという奇特な御仁がいらして、フランス語の本もかなりありました。プレイヤッド版のプラトンとか素晴らしい御本なのはわかりますが私たちどうすればいいのでしょうとかカミュのペストには挿絵版があるのねとか楽しくチェックしてたらラディゲの全集がありました。 版元はグラッセで、それだけで文学の薫り高い。自分の本が出版できて、例えばグラッセから翻訳が出たりしたらもう、死んじゃうね。嬉しくて。そんな夢物語ではなくて僕はパリ在住の對馬師匠などフランス語の作品をいつかものするのではと睨んでいるんですがグラッセとかコルティとかから出るといかにも向風っぽくありませんか御同輩って誰に言っているのだろう。 全集ってやっぱり主要作品ではないものが目玉で後の方の断片とかを見てたら当然昔の版だから知らない作品は無い。実は一番新しいラディゲ全集持ってるんでした。でもそれってもはや写植で、グラッセ版は昔のフランスの本で活字が紙にぐっと食い込んでる感じが素晴らしいとか思ってたら、花売り娘が馴化動物園の白鳥を盗むという散文詩のようなメルヘンのような作品と再会。 僕はあの文章が大好きなの。原文と自分の訳文が毛糸玉の糸口を引っ張るように溢れてもう活字を追うまでもなくしばらく頭の中文章とイメージぐるぐる。サンテックスの著作権切れてるくらいだからラディゲの著作権も大丈夫なはずでどっか翻訳させてくんないかな。このブログに載せちゃえばいいのか。そうすれば検索引っかかって誰か読んでくれるか。そういうシリーズも良いかもしれません。畏れ多いけどさ。

トリコじかけになる

2005年11月07日 20:27

仕事を終えて帰ろうとすると空に虹。 職場の若い衆が「4時だけど虹ですよ」と教えてくれる。僕はそういうキャラだと思われているのか。 虹は嬉しい。小学生もお婆さんも空を見ている。 僕の自転車にすれ違う人たちが顔をあげているので明るい気持ちになります。 いろんなことが少しずつ僕に元気をくれるのでもうすぐ復活できると思います。

モローが好き(モロー展に行って)

2005年10月16日 21:16

Bunkamura にモローを見に。 僕はモローが好きなのだと思う。パリのモロー美術館にも何回か行っているし、国立西洋に行ってもブリジストンに行ってもモローの前では目が離せなくなってしまう。大原美術館でも何だかんだ言ってモローが一番好きなのではないか。 若くして亡くなった作曲家の八村義夫氏は「好きな画家は?」と訊かれると「モローが好き」と答え、「モロー以外で好きな画家は?」と訊かれても「モローが好き」と答えた。と、これは三宅榛名氏の著書にあったけれども、モローのファンってそういう感じになるのだと思う。 凄い画家ってピカソとか、フェルメールとか、ダヴィンチとか、クラナハとか幾らでもいるのだけれども、好きな画家というのは別の範疇で、それにもっともはまりやすいタイプだと思う。タンギーとかグレーズ(こういう絵を描く人)とか小物だけれども自分的には一番な感じの画家ですね。僕には。 今回の展覧会はモロー美術館の作品のうち持ってこれるものを持ってきたというもので、正直作品の質はベストではないけれどもモローなムードの浸ることは出来た。一度トリュフを十分に食べた人だけがトリュフの効果を得ることが出来るとか、ドリアンを堪能した経験があればどんなドリアンでもドリアンとして楽しめるとか、そんな感じ。 比喩に食べ物が来てしまったが、モローって分析的知的なアプローチではとらえられない部分があると思う。デッサンと完成作の間の「色を塗っただけ」みたいなアンフォルメル一歩手前な習作群が無意識を直撃する。だからモローに何かを感じる人は一度パリでモローに浸る必要があるのです。 他に収穫としては、展示の最初のことばの冒頭でボードレールの「リアリティーが存在するのは夢の中だけ」が引用されていたことと、年譜を見ていたらボザールで教えるようになったのが65才で最愛の母も愛人も失った後だと知ったこと。 なんだか八村氏の「一息ごとに一時間」が聴きたくなりました。

手帳とカレンダー

2005年10月15日 01:07

伊東屋の銀座本店に手帳を買いに。 もう、ずっと使っているフランスのラジャンダ・モデルヌの手帳のリフィル。アジャンダって手帳のことだからメーカー名は「現代手帳」なのか。なんとなく納得いかないのだけれど、ラジャンダ・モデルヌの手帳を使っています。 年々日記よりもスケジューラーとしての重要性が増している。おそらく10数年同じものを使っています。見開き1週間。最初の5年ほどは差し替え用のリフィルだけを毎年買って剥き出しで使っていました。途中で皮のカヴァー付きにグレードアップして去年はカヴァーが二代目に。 おそらく一生使えるのではないか。アジャンダと伊東屋が潰れなければね。 というのも、その前に使っていたのが「りぼん」の付録。当時神田界隈では、書店の人とかに、あれの愛用者が結構居たのです。見開き1週間でメモのスペースがたっぷりあって便利でした。表紙が陸奥A子たんだったりするのが問題と言えば問題だけれども、おっさんも平気で使っていた。手帳代と思えば雑誌代なんて全然安い。ところが、ある年にレイアウトとサイズを変えてしまったので手帳難民を2,3年。ただだから白水社手帳とか一瞬思ったけれども、そうしなくて良かった。企業の出す手帳なんて軒並み絶滅ではないでしょうか。システム手帳にしなかったのも自分を賞めてあげたくなる。あんなの使いこなせる訳がない。 最上階でカレンダーフェアをやっていたので、カレンダーも物色。迷いに迷った揚げ句、365日の誕生花と花言葉のカレンダーを購入。月と波のカレンダーを買うつもりだったけれど無いものは仕方がありません。カレンダー遍歴の話はまた今度。手帳の地図やら情報が如何に楽しいかとか片岡義男もお気に入りとか、メモ帳はモールスキンも勿論良いけれども、野村克也監督推奨の「大学ノートの凄く小さい奴」の使いやすさ、入手のしやすさも捨てがたいとか、そういう話も、またいつか。

素晴らしい1日

2005年10月06日 01:12

ほんの3分前に終わった今日10月6日はなかなか素晴らしい1日でした。 まずねぇ。仕事の日じゃないから目覚ましで起きなくていいというのが幸せですね。 で、東京アコーディオン教室のレッスン日なので家を出ると降っていると思っていた雨が上がっていたので地下鉄で行く予定を変更して自転車で金子万久先生のお宅に向かったので、浮いた時間で朝マックが出来たことですね。 今日のレッスンは練習不足のために滅茶苦茶心配だったのですが何故か好調でアルペジオは日頃の2割り増しのスピードで弾けるし、先週だめだめだった「オブラディ・オブラダ」もちゃんと弾けて良いレッスンでした。もっとも初めて先生の前で「アリデベルチ・ローマ」を弾いたときには不思議も時間切れだったらしく「もっと弾き込めばいいでしょう」になり「パリ空」のホ短調ヴァージョンというか本来のキーのヴァージョンも「もっと弾き込めば」だったので別の意味でも良いレッスンだったのですが。 先生にヨハンナ・ユホラ嬢のライブの報告をしたところ、「それでルックスは?」「美人です」「じゃぁカメラ持って取材に行く」と、いうわけで今日再び中目黒に行くことになりました。(続く) 帰宅すると午後は2時から近所で昨年のフランスでの大ヒット映画『コーラス』を上映しているので名画座へ。いい映画でした。実は声楽家とお食事をした際にこの映画の感想を伺っていて、「音程が取れない子に『君のパートはない』と言って人間譜面台をやらせるのはひどい」(あ、『コーラス』は不良少年を収容する寄宿学校で合唱団を作る先生の話です)とのことだったのですが僕にはそれほどひどいとは思えませんでした。むしろ何も仕事がないよりも子供のことを考えた措置ではと、、、。才能のある少年は自然とソリストとしてとりたてるとか「人はそれぞれ」というフランス的な考えに充ちた映画といえます。あと魅力的な大人の女性(とりあえずファニー・アルダンを考えて頂きたい)が登場するのも日本映画にはない美質ですね。ここから何行かは見てない人は飛ばして欲しい、要するにネタバレなんのですが最後の方で先生が学校を去るシーンでお別れを言うことも見送ることも許されない生徒達が窓から紙飛行機を投げてメッセージを送り、手だけを出して振り、合唱が聞こえるという感動のシーンで「窓から沢山の手だけが出ているのはある種の怪談、泳いでいると海の底から沢山の手が、、、という奴みたいで恐怖」とか「どうして先生は紙飛行機を全部読まないし、全部拾わないで去っていくのだ」とか邪念が湧いて困りました。時系列の混乱もあったし、最後で駆け足詰め込みになった感があります。そういえば途中でもご都合主義的な安易かつ急速な展開があったし、、、。やっぱり僕は『バッド・エデュケーション』の方が好きだなんて比べること自体が間違ってますか。オリジナル曲よりもラモーの「夜」が一番だったというのもなんだかなぁ。 (続いた)夜のヨハンナ・ユホラ嬢は一昨日とほぼ一緒だったのですが、オープニングとエンディングに歩きながら登場退場をしつつ演奏するミュゼットっぽい曲が追加されていました。おとといの日記でもリンクを張ったこの曲(クリックすると音が出るので要注意)でした。演奏後に「僕もジュネ(とカロ)の映画は大好きで『ロストチルドレン』が一番なんですよ」とか、ちょっとお話ししたんですがユホラ嬢はあの映画は4回見たそうです。万久先生にも気に入って頂いてお連れした甲斐がありました。先生はピンクのハンチングというすてきな出で立ちでユホラ嬢も「すてきな帽子ですね」と見逃せない感じです。というか、あれを見て黙っていられる人はいない。万久先生は「お茶飲みましょうか」とうかがえば「お茶なんて飲んでちゃだめだよ」だし(フィンランドのビールを沢山頂きました)、「重いアコーディオンを2台も持って日本に来るなんて余程ギャラが良くなくちゃ来ないでしょう」なんて言うし(通訳の招聘元が訳さなかった)、万久節はいつも通り冴え渡っておりました。北欧デザインにも興味津々でガラスの小さなコップをお買い求めになり「これで日本酒を、、、」とのこと。う~ん。 ライブをお教えした御礼に銀座へでも行かないかという先生の有難い有難いお誘いを振り切って外苑前へ。鈴木亜紀さんの定例ライブです。これまた、それだけの甲斐がある素晴らしいものでした。ゲストはDKKと関西では称される太田ピカリさん。よく考えると爆笑問題の人みたいな名前だなぁ。DKKとは「どもり・かみかみ・ききまちがい」のことだそうで亜紀さんは最初DKKKと紹介されて「Kがひとつ多かったかな」とおっしゃってましたが、それこそ「ききまちがい」あるいは「かんちがい」「きのせい」じゃないのかしらん。ブラジル音楽のドラマーの方で、亜紀さんがパーカッショニストと紹介すると「というよりドラマーなんですが」と訂正されていました。ドラマーはパーカッショニストではないのか!と突っ込みたかったけれども。「恵比寿ガーデン・プレイスに向かうムーヴィング・ウォークは何でぶつ切りなんでしょう」というMCに「阪急やないから」と突っ込んだあとなので、僕はもう黙ってました。 今日気になった鈴木亜紀的歌詞は「思いはジェラシーの裏返し」と「昔から愛は苦しいものと決まってるし」。いやぁ辛い恋愛観ですね。ジェラシーが思いより先に存在したらそれは苦しいね。 最後に今日の読書:森博嗣の『四季』だったんですが、帰りの地下鉄で『秋』の冒頭50ページほど読んでいてぶっ飛びました。ああいう感触のショックはアゴタ・クリストフの3部作以来です。もっとも、クリストフ先生が3冊でやったことを24冊でやってるとかんがえると8倍遅いのかもしれませんが、ともあれ読書体験も上々、上出来の1日だった訳です。 こういうのって、よく計画した海外旅行の1日みたいです。行きたかった界隈を散歩して、チェックしたレストランに行って、美術館なんかも行って、夜はオペラとかにも行く。ただ、あんまり1日にいろいろあると平準化してしまって却って印象が薄れるのもありがちだし、一緒に思いだす相手が居ないと忘れていくそんな感じもあります。

脈絡もなく様々に

2005年10月01日 21:14

今日は土曜日なのですが、、、 木曜日は東京アコーディオン教室(金子万久先生)でした。 コンクールも終わり、先生の曲集を「あげる」のが次の目標です。 キャバニョロのキーボードをオークションで買ったお話をしたところ「写真を撮らせて貰えれば次のアコジャーに載せよう」とおっしゃるのですが、それでは僕のキャラクターがますます謎になるのではと心配です。現代音楽のレビューを書いてガジェットをフランスから取り寄せるなんて、ちょっと変人じゃないかな。いや、そんなチェックしてる人いないか。 さらに、実はもうひとつオークションでネラッテいたアコーディオンがあって結構欲しかったのだけれども予算内で買えると思っていたら終了間際に負けたお話などしたところ「それはそれ以上では買ってはいけないものかもしれないね。買えなくて却って良かったんだよ」と言ってくださいます。いい先生だなぁとしみじみ。 アコーディオン的には先週のハルトリ氏のヴィデオをご覧になった先生の感想「右と左が融合しているのは自分の知っているアコーディオンの常識(左は分厚く右はミュゼット)と違うけれどもそういう世界もあるのかも」というのが先生の柔軟さを感じさせて感動でした。 実はこの週末は職場のちょっとしたイベントでこのところ練習だリハーサルだとPA担当として忙しくしております。去年もあったのですね。こういうのは仕事とは認めないと先日公式見解があったけれども楽しいからいいか。それはさておき、今年は東京スカパラダイスオーケストラのコピーバンドが生意気にも持ち込みのPAシステムを借りてきた(管楽器が全部コンタクトのワイヤレスマイク!)ので、そこだけは僕の仕事がありませんでした。で、先日の練習では素人がPAをいじったので正直僕が職場の機材で仕事をした方がいいと思っていたのですが、、、 金曜日のリハーサルは心配のあまりプロが来てしまいました。バランスが、音圧が違います。いやはや勉強になりました。これは本番の出来が楽しみです。 と、思っていたら本日土曜日の本番では調整卓を頼まれてしまいました。プロは、、、客席で鑑賞されていました。冷や汗ものですが本番のアクシデントにも何とか対応。面目を保ったというか勉強の機会を失ったというか。まぁ楽しんだから良しとしましょう。しかしねぇ、若者は何をするかわかんないですね。サキソフォンだのトランペットだののコンタクトマイクを外して、それに向かって歌ってコーラスをつけるなんて聞いてないどころじゃなくて想定外です。メインヴォーカルとバランスを取るのが大変。ジェンベ担当もエレコンのマイクに向かって歌いだすしなぁ。 イベント内の別企画(クラシック)なんですがアコーディオンも弾きましたとも。嬉しかったのは出番が終わって楽屋(単なる隣の部屋ですが)に戻ったら楽屋に誰もいなかったこと。みんな客席にまわって僕の演奏を聴いてくれてたんですね。演奏は仕事の合間を縫っての出演だったので悔いの残る出来でしたが、明日もあるので明日はリベンジです。 イベントには1年間にUFOキャッチャーでとった縫いぐるみ類を格安で売っぱらう謎の同僚も参加していて、今日は彼からリラックマをいろいろと買った(実はチャリティーバザーなんですね)のですが、あれどうしようかな。だれか欲しいひといないかな。希望者はメール下さい。 関係ないけれど、クレしんの戦国時代の奴を途中からだけれどもテレヴィで見てしまいました。いやはや最後のシーンはあいかわらず(ここからちょっとネタバレなので一応警報)泣けそうで辛かった。黒澤明が生きていたら喜んだだろう「クレしん」。ある世代の優秀な人材は全てアニメに取られてしまったというのは本当かもしれませんね。 関係ないついでに、もうひとつ書き留めておくと、「歴史的大勝」を果たし国民から白紙委任状を取り付けた感がある権力者が好きなオペラを久しぶりに鑑賞した作品がワーグナーだというのは、分かり易すぎて恐怖を通り越して白けてしまいますが、そんな場合じゃないような気もします。『モーゼとアロン』とかだと笑える(?)んだけれどもバイエルンはやらないよね。それから指揮者がズービンメータだというのも懐かしいような情けないような、、、。昔々、僕の高校のオーケストラには、社会科の授業で「ユダヤ人といえば誰を知っていますか?」という問いに「ズービンメータ!」と答えた先輩がいらして、伝説になっていたのですが、よく考えるとそれもありかもしれないと思う今日この頃。いや、やっぱりそりゃないか。

怒りと響き(アンカー・アンド・シガレッツ)

2005年09月27日 22:43

今日は日記を書こうと思って、とりあえずタイトルを決めたのですが「ええと、フォークナーにそんな題の本があったなぁ」「そのままではつまらないから嘘の原題をつけて」「ひびきじゃなくて煙草の名前はエコーだったけれどもいいか」と意識は流れ、でも念のためとネットで調べたら、フォークナーの本は『響きと怒り』。原題は「サウンド・アンド・フューリー」。「ひびき」という煙草もちゃんと実在:いいかげんなニッポンの私です。 で、そういう私は仕事でもミスをするのですが、仕事しています。この日記を読んでいる人がどの程度の割合で御存知か判らない、というか誰が読んでいるのかあんまり把握できてないんですが仕事してるんですよぉ。鈴木亜紀さんがご自身の東京のライブによく来る男性一人客は皆ワケアリに見えるとおっしゃっていて、どうやら僕もそのなかに入っているのですが、そこはそれ、それなりにね。 最近読み続けていた斎藤一人関係の本に仕事なんて78%しか本来できないのだから完全にやろうなんて思ってはいけなくて次の機会に残りの78%をまたやればいいというのがあって、思わず脳内でアキレスと亀が走り出しますがそう考えると一応は気が楽になります。 でも今日はミスをがんがん指摘されて結構凹んだ。でも大抵の話が「そんなことをされると、あんなことになってしまうかもしれず、そうしたら俺は責任が取れないよ困るよ」という落ちなので結局は自分のために怒っているのだと思うと取り敢えず頭を下げましょうということになります。 それでもくたびれたのでおやつを買いに外出したら道で会うはずのない知人に15年振りに再会して実は僕はその人を認めるのにちょいと苦労したのですが当方は「ひとめでわかった」らしくて、それほど進歩がないのなら仕方がないか。 その後は会議があったりして職場の数少ない友人が非難を受けつつも頑張ってて自分はあの程度で落ち込むこともないか僕だったらあんな言われかたしたら家に帰って日本刀とか振り回しちゃうよ持ってないけどさと人の不幸で持ち直したりしてプチひとでなしのような気もしなくもありません。 なんとなく怒っているのだな自分と、思いついた日記のタイトルに教えられます。

三木助の「芝浜」

2005年09月24日 00:01

思うところあって、昔の演芸や落語をCDで図書館から借り出しては聴いております。 最近の中では本当に良かったのがこれで、思えば子供のころから好きな話でしたが、 久しぶりに聴いてほろっときてしまいました。 しかも理由がわからない。 三木助というのは東京人なのに上方で修行をしたり、戦時中に落語をやめて踊りの お師匠さんになったりと、結構「ごもく」な人なのが身につまされるのかもしれません。 どうってことないはずなのに良い話ってあるんです。

骨董市に行ってみた

2005年09月23日 23:39

モノレールに乗って平和島の骨董市へ。 結局楽器と本とCDをチェックしてしまう自分が悲しい。 鼓があったので、ちょっと欲しくなる。ジェンベよりも欲しい。結構ひもがぼろぼろなのに良いお値段なので買う気がしない。アコーディオンも1台だけあったが中国製の「英雄」の黒鍵のない白鍵だけ10鍵くらいの、おそらくは押し引き異音のディアトニックの楽器で蛇腹は紙の筈。要はおもちゃで状態も良くないのに4500円の値が付いていた。でたらめである。新品で2000円以下で入手できるのに。。。 本はアンドレ・モロアの『フランス破れたり』昭和15年があった。状態は悪い。全体に身をくねらせている。500円と言うが「200円じゃなければ買わない」と言い放ったら200円になった。神田で丁寧に探せば100円だという自信があるので強く出られる。 CDはクレオールという日本語のユニット。「フェイクボサノバ」と帯で名乗ってしまっているけれどもいいのだろうか。100円なのと、「彼女と彼のソネット」(タンヴァパ)のカヴァーが入っていたので購入。見本盤であった。10年くらい前のものなんですが、どのくらい製品として流通したのだろう。 後は乳白色のガラスのコーヒーカップが気になったので購入。毎日使うコーヒーカップは時々新しいのを下ろした方が運がつくというDrコパの説を取り入れているので今年度下半期の職場カップに採用することにする。風水は気に入ったものだけ実践する派です。実はセブンイレブンのスヌーピーマグカップにするべく着々とポイントが溜まっていたのだけれども、それは来年度上半期か新年から使うことにしようか。 他に印象に残ったのは、シロクマの毛皮があって何故か顔の部分(つくりもの)が、これまた作り物の人参をくわえていたこと。会場を回るたびに犬張り子の形をした陶器の貯金箱とやけに目があったこと。シロクマはともかく貯金箱は買っても良かったのだけれども、下らない置物を増やして結局捨てることになっても可哀想なので我慢。

ヴァリエテ帰還

2005年09月16日 13:00

結局、1ヶ月も日記が空いてしまいました。ヴァカンスが終わった途端の体たらく。 そもそも8月20日から出張に出て、出張前は忙しくて書き込めず、出張中はネット環境が無い!(外線電話さえかけられず、PHSは当然圏外でした)ために時間はあっても書き込めず、出張後は忙しかったのとネットに関係なくても生きていけるような気がしたので書けなかった。ああ、結局理由は無かったのです。ネタも結構あったのですが。。。 しかし「恥ずかしながら戻って参りました」。 そういえば書かない間にアクセスが12.000になってました。皆さんありがとう。これからも宜しく。

八月の見開き

2005年08月16日 23:51

大の月は31日だから前半後半を15日ずつとすると1日余りますね。31日がおまけだと考えても良いけれど、今日がどちらでもなくて明日から後半の15日間が始まると考えても良いのだと、今日発見しました。いかにもヴァカンス中の思考です。 と、いうわけで、今日は8月の折り返し点。何もしなかったとも言えるし充実していたとも言えます。 ネットラジオでフランスアンテールをつけたらボウイの「火星での生活」がかかっていたのでそのまま聴いていたらSF特集でした。1977年には重要な映画が公開されてといわれてもピンと来なかったけれども、それはスターウォーズのことで文明国と2流国では公開年次が違ったのだと思いだして怒ったりして。フランス人はディックとアキラが好きです。 朝食にはパンを焼いた。機械が。夕食には茄子のカレーを作りました。これは自分で。ルーも使わない。 あさってから仕事なので連絡をこなしたり、、 楽器の練習をしたり、、 ベランダに飛び込んでひっくり返ってクルクルじたばたしていたアブラゼミを助けた。 中綴じの雑誌ならばセンターフォールドだから16日はプレイメイトがポーズをとるのです。

お風呂ポスターなどについて、とりとめもなく

2005年08月11日 23:47

みなさん今晩は ごぶさたしてます ってブログじゃないみたいな書き出しですが、気がつけば書き込みが空いてしまいました。これということなく過ごしておりました。気がつけば「気がつけば」を2回書いていますが、そうこうしながらヴァカンスが残り1週間となり、そのうちの貴重な1日もなにもせずに過ぎようとしています。 もちろん何もしないなどということは実際にはあり得ない訳で、、、 「あのひと、いまごろ何をしているのかしら」 「とりあえず呼吸はしている。それから搏動。『あのひと』に含まれるかどうかはともかく体内のミトコンドリアだの微生物だのの活動も考えれば実に様々なことが繰り広げられて」 「お前なんか呼吸も搏動も止めてしまえ」 なんてことはいわなくても、例えば今日はウィルキンソンのジンジャーエールはDryと書いてない方が「辛い」ことを発見したし、最近懸案事項だったペダルペールを購入:ドイツ語らしい言葉が書いてあるのだけれどもなんだかとんでもない意味がないことを心から願っています。mistkubelと一番上にはあるのだけれども、、、それからして判りません。買い物ついでに「ずっと欲しかった~」カメラならぬ『お風呂ポスター」も購入してしまう。水の表面張力でお風呂の壁に貼り付けて、半開きの窓と南洋の海が見えるというこういうのです。これ、結構良かった。入浴中は読書タイムなのですが、ふと目を上げると驚く自分が新鮮。莫迦なだけかもしれませんが。 何もしなかった感を助長するのは、せっかく横浜が買ったというのに今日も大洋レコードに行かなかったからとか、金子教室は順調でコンクールに向けてがんばっているとか、いろいろありますが、すべて伏線が「書きかけでアップしていない日記」にあるので、明日以降にご期待下さい。

acoのレッスン葦のランチ

2005年08月04日 09:42

東京アコーディオン教室は「ファウストのワルツ」「光と影」「ラ・クンパルシータ」の3曲。やはりコンクール曲中心となる。 本駒込の金子万久先生のお宅を辞して「葦」へ向かう。とにかく日差しが強いので忘れた帽子を取り返さないといけないので。本郷通りを南下して蔵前橋通りを東へ進むだけなので簡単な道のりだし本郷通りは街路樹が多く蔵前橋通りは道路の南側を走ればビルの影を進めるのだけれども30分以上の自転車での行程はやはり厳しい。 噂に聞く真夏の葦も強烈。地下であること冷房がないことの威力を思い知る。 葦のランチコーヒー付き760円は素晴らしかった。ひつまぶし、冷や奴、味噌汁、漬け物で食後にコーヒーが出る。僕が休暇中だというと永井さんはコップ1杯のビールを振る舞ってくれた。おそらく残りは永井さんが後で飲むんだろうな。

『薔薇のミルフィーユ』

2005年08月02日 10:45

「マリア様が見てる」最新刊を読了。読みやすく、面白い。シリーズとしては水準作だけれども大きなストーリーを前進させるドライブを作者が目論んでいるのがわかって心強い。 前々作『インライブラリー』は本当にビックリした。素晴らしいテクニックを見せつけられた。「この小説技巧で『ちゃんとした小説を』」などと思う向きもあるだろうが、すでに「ちゃんとした小説」なのである。そういう手合いは今でも『タイタンの幼女』にも『ヴィー』にも同じ言葉を投げかけるのだろう。

『地球のはぐれ方』

2005年07月31日 08:26

村上春樹がスタイリストの吉本由美、写真家都築響一(そういえば知人(の部屋)がTokyo Styleに載っている)と3人で「東京するめクラブ」というユニットで行った旅行記。 旅行した先が、ナゴヤ・熱海・ハワイ・江ノ島・サハリン・清里で、サハリンと清里以外は僕も割と詳しいのだが。 この本は「ちょっと変わった旅行や人生の楽しみ」を提案しているはずなのに、あまりにも普通に読めてしまったのが問題と言えば問題。 例えばマウイ島とホノルルのユルイ楽しみに関しても、いまさら感がある。「日本人が行かない」ルアウもポリネシアン文化センターにちゃんと行ったし、終わってしまった(残念。知らなかった。また行きたかったのに)コダック提供の無料のフラダンスショーも行った。本当に観客は白人ばかりでした。帰りにカパフル・アヴェニューに行ってチャプスイとかをフジ食堂で「ライスはワンスクープね」と注文して食べてヴィンテージのアロハをしこたま買ったりもした。 江ノ島篇でもエスカーとか普通に知ってる。「きんきろう」という食堂(だったかな?)に言及して欲しかったとか。旧江ノ島水族館の「ジェリーフィッシュパーティ」も行ってる(そこで鈴木亜紀さんを初めて聞いた)し。 こうやって書くと特殊な人みたいだけれども、そんなことないのです。もう「こんなユニークな僕」を自慢しようっていうのがイヤったらしい上にたいしたことないのはよくよくわかったから、そんな気分は微塵もないし、そもそも上に書いたアトラクションは全部普通のガイドブックに載っていたのです。 「人とは違うんだぞ」という思い上がりとも「どうして人と違うんだろう」という悩みとも違うところで、不思議に困惑した気持ちでいる。 そういえば昔、同じ村上春樹氏の『日出ずる国の工場』を読んでブティックに赴き10年ほどコムデギャルソンの愛用者となった(いまでも様々な事情が許せば川久保玲氏のブランドを纏いたいとは思っている)のだが、そういう行動って一般的じゃないのかな? こんど熱海に行ったら風雲文庫に行かねばなるまい。と、強く思ったのですが、みなさんいかがですか?  本当に昔から不思議なんです。ほら、新聞とかに紹介された場所に翌日勢い込んでいくと滅茶苦茶空いていたりするんですね。どうしてみんな行かないのかな? ブリュッセルの小便小僧の女の子ヴァージョンとかも「地球の歩き方」に載っていて小便小僧のすぐそばにあるのに実際に行った人に会ったことがない。あげくのはてに「トリビアの泉」で採りあげられたりする。中公新書の旅の本で「ヨーロッパ一美しい村」と書いてあったバーガンディーの村にも実際に行った人にはほとんど会ったことがない。丘の上にあって麓には世界一(当社比)のフランス料理店があるんだよ! この手の話はこどものころから沢山ある。 僕は『地球のはぐれな方』が欲しいくらいです。

レオノール・フィニ展

2005年07月29日 21:45

日曜日で終わってしまうので急いで赴きました。久しぶりに訪れる渋谷の Bunkamura でしたが Café deux magots Paris(本当にこういう店名なんですよ。パリがつくあたりが恥ずかしい)のテラスが記憶と違って狭く感じられたのはどうしてだろう。 展覧会は結構なものでした。絵として一番良かったのは Asphodèle という女性を描いた抽象的で装飾的な絵で、「蔓穂蘭(つるぼらん)」と訳されていました。辞書にはシャグマユリともあり、蘭なのでしょうか百合なのでしょうか。こんな花らしいのですが、絵のイメージとは随分違います。ギリシア神話で、死者の霊の住むアスポデロスの野に咲く不凋花アスポデロスに由来した名前らしいのですが。そう考えると不吉な絵でした。なんだか聞き覚えがあると思ったら『異邦人』に出てくるのでした。あと、女の子が4人並んでいる「変容」という屏風が少女マンガみたいな絵柄で萌えました。しかし裏を返すと同じ構図で遺骸や骸骨が並んでいるのですね。女は怖い。僕は裏は要りません。一番印象的だったのはジャン・ジュネの肖像なんだけれども、それは絵とは関係のない要因かもしれません。いやきっとそうだ。 最近はフランス人画家の展覧会でも題名が英語のことが多くてなんだか違うんじゃないかと疑心暗鬼になったりするのですが今回はタイトルがフランス語だったので勉強になりました。確か「首かせ」というタイトルの絵があって、当然知らないのでフランス語を見ると carcans とありました。フランス語で首枷ってカルカンなんですね。ペットフードの kalkan と日本語で発音すれば同じです。ま、「ねこまっしぐら」だからレオノール・フィニらしいといえばらしい。それから猫の扮装のスケッチのタイトルが gattomachia でイタリア語らしいのだけれども(だってイタリア語でネコはガットですね。「黒猫のタンゴ」の原題は Volevo Un Gatto Nero 黒いネコがほしかった)machia がフランス語の maquillage ならば「猫化粧」ですね。今日覚えた単語は使い道なさそうだなぁ。蔓穂蘭にしても赤熊百合にしても見ることはなさそうだし、首枷も猫化粧もしないと思う。 レオノール・フィニのアパルトマン探訪みたいな短編映画もヴィデオ上映されていて印象的でした。そこにもネコがいっぱい。ネコが映ると名前が紹介されるのです。日本語版のナレーションを作って渡辺篤史にやってもらえばいいと思いましたね。 フィニ女史の年譜で驚いたのは生涯の伴侶が二人いたこと。一人だったのが二人になったときは御歳44歳だったというのも立派すぎ。晩年になって二人を相次いで亡くして画風が暗くなったといいます。

ライトノベル序説

2005年07月10日 23:07

この日も農繁期まっただ中で仕事は待ったなし。にもかかわらず『涼宮ハルヒの動揺』を読了。食事中に仕事はできないけれども本は読めるからね。これでハルヒのシリーズは『暴走』を残すのみとなり、読む順番が刊行順とここで逆になってしまって、前巻の内容が仄めかされているので、図書館で借りて読み続けているんですが、いっそのこと書店で買ってしまおうかと一瞬考えてしまう。そのくらいに面白い。あと文章が実にイキがイイ。活きが良いというよりイキがイイっていう感じ、ただし賞味期限短めみたいなって叫びたくなる。実は男の子の一人称で「俺」な小説は『狼男だよ』以来苦手な俺だが馬鹿な男の浪花節てなもんで、良い物は良いのです。『暴走』を僕の前に読む2人の人に早く読んで頂きたいものです。早く来ないかな。 ライトノベルは、おそらく莫迦にされているというか差別されている。僕も「それ、子供が読む本でしょ」と言われたりして、基本的にその通りなので「おっしゃるとおりです」と言うしかないのだけれども、そもそも氷室冴子の『クララ白書』から読んでいるし、SF者として新井素子をチェックすればこれまたコバルトだし、「まんが家満里奈シリーズ」の第1巻はヴァネッサ・パラディを日本に紹介した嚆矢であり、そのときにパラディスと表記したのは、おそらくデュラスが日本に紹介されたころはデュラであった伝統を踏まえているのであろう、ヴァネッサ嬢の初期のテレビ出演で司会者がパラディスと紹介しているビデオもあるしなんて蘊蓄も傾けられる。そのころは、SF的ライトノベル(ジュブナイルと称した。あるいは少女小説、もしくはソノラマのやつ)は漏らさずチェックの体制で、とり・みき画伯のイラストも素晴らしい『彼女とストンプ』とか、大原まり子!大原まり子!大原まり子! ああ『コスモス・ホテル』特に「若草の星」は良かったなぁ! なんて、いくらでも盛り上がれます。でも90年代はやっぱりSFって読まなくなるのです。 それ以降は小林めぐみを「発見」したのを唯一の例外に、その辺も読まずにというかなくなった気がしていてファンタジーは山ほどあったのに食指が動かずにいたのですが、この2,3年はどんどんラノベを読むようになりました。なんとなく書店で平積みになっていたゆうきりん(さてなんでしょう)や、全くライトノベルなどない書店に、それだけが置かれていた乙一(棚を作ってた人のメッセージを感じて立ち読みしてみたら大当たり)を入り口に、マリア様も見ているし、まぶらふし、撲殺天使も降臨、自動的、その流れ(動物化のヒトのお勧めライン)で nishiOishin 。最近森博嗣の S&M 全10冊をめでたく読了し、短編集の番外編を読んで『四季』に挑みつつあるのも、新本格絡みからではないのです。新本格はウブメ(何故か変換されない)とか流水院とか読んだけれど、ちょっといいやな感じ。やっぱり僕が好きなミステリは若竹七海氏に、最近では米澤穂信が良いですね。後者はラノベに入れる人もいるかもしれません。新作出たんですよ。もう図書館に来ているので水曜日に借りに行くのが楽しみです。他には金色のネズミ、ウフコックのアレが圧倒的か。最近の収穫はぴよぴよさん、ぺとぺとの紅顔の美少年木村航。処女作もついに読んだから、後は新しい『帰ってきたペとペとさん』を待つばかり。 とにかく読むべきでないものを読むのは少女マンガ読んでたから、どってこたぁないし、お墨付きなんかなくても面白いもの読んじゃうのは、小学校で『ブンとフン』(初版のかなりガタガタな本)が猛烈に回し読みされたり、中学校で筒井康隆がブームを起こしたりしていたのと同じで、おそらく何の権威もなかったのは確実です。もっともツツイスムには山下洋輔の強力な援護射撃があり、エッセイでツツイストに「マグロマルとは何か」と質問して知識を確認し合う亜ピソードなどに影響を受けているに違いないのです。この文章も、その流儀すなわち仲間を峻別しつつ部外者を引き込もうと書かれています。 大量に出版されているのがラノベが面白い理由のひとつなのは確かで、幾つかも出版社が複数のシリーズで毎月何10冊と(とりあえず2005年7月は80冊以上)出ているのだから、傑作がでない訳はないのです。1年間で翻訳されるフランスの現代小説って何冊なんだろう。 この世界では、文庫本のシリーズのことをレーベルと呼び、書物をタイトルと称します。もうこれってCDと同じノリですね。レーベルの個性が非常に重要視され、作家よりもレーベルで作品を選ぶ読者も多いようです。イラストレーターが重要視されるのも、ジャケットやプロデューサー、セッションマンでCDをチョイスするロックの世界と近い。その辺も、妙に良い気分です。 結局、現代の空気を吸うために読んでいるのかもしれません。僕だってシェイクスピアやゲーテよりも素晴らしく面白いというつもりはないし、もしかすると、「まぶらほ」の最新刊を読むよりも『幻滅』をもう一度読むとか、結局『チボー家の人々』読み終えていないじゃないとか思わなくもないのですが、それでもドクロちゃんにはもう会えないのかと胸を痛めるのはキャラクターが異常に立っているからばかりではなく、オーソライズされていないジャンルであったパルプSFからアメリカ文学の本流と成り上がったカート・ヴォネガット(ジュニア)がいうところの: 「人生について知るべきことは、みんな『カラマーゾフの兄弟』の中に書いてある。だけども、それだけじゃもう足らないんだ」 ということなのではないでしょうか? (しかし人生について知るべきことはいろんなところに全てあるものですね。幼稚園の砂場で学んだことは、気がついたときには火のついたベッドに寝ていたときにも役立つのでしょうか。『カラマーゾフの兄弟』には書いてありそうな気がします。)

シャンソンのベレポック(産経学園大野修平先生御講座)

2005年07月09日 22:19

午前中は住まいの集合住宅管理組合理事会。持ち回りの理事なのです。3時間中、出席確認で「ハイ」と言っただけ。エレベーターケージ内部保護カバー汚れたのでどうましょう美観のためいっそ取ってしまいましょうか取ってしまうと配達の人の台車とか腰に付けた物で傷が付くからそれはだめという議論で、「腰に付けた物」ってなんだろうと思って「きびだんごですか?」と叫びたくなったけれど、皆さんあまりに真面目でそんな雰囲気ではない。 実は管理運営上の意見として、土日だけ管理人が違う人で玄関ロビーのBGMが平日と違うポピュラー系なのをクラシックに統一して欲しいと要望だそうかと思ってたんだけど、もちろんそんなこと言えませんでした。社会とのギャップを感じてしまうま。ま、いつものことといえばいつものことですが。 午後は大野修平先生の銀座産経学園講座「シャンソンのベルエポック」。トレネ晩年をピアニストとして支えた Roger Pouly 氏のCD Airs de ParisQuartiers de Parisの紹介(これがピアノソロでラウンジ風、カクテルピアノのお手本のように格好良い。ああいうんなら玄関ロビーに流してもいいんだけれどな/結構こだわってます)、先生の新刊『シャンソンで覚えるフランス語(3)緑犬篇』の紹介(巻名は本当ではないですよ)、講座が小学館の雑誌「サライ」13号銀座特集の記事「憧れの街で、学ぶ 習う 楽しむ」に取り上げられたこと(取材時に写された写真に僕も小さく小さく写ってます)と、盛りだくさんでした。 もちろんメインのシャンソンもあり、ジョゼフィーヌ・ベイカーの「かわいいトンキン娘」、ベラールの「夢は過ぎ行く」が取り上げられました。「かわいいトンキン娘」意外に重層的な意味を持つのかもしれないと思ったり、ベラールの曲に100年前のナポレオンの反映を感じたり勉強になります。やっぱり昔の人には100年前ってリアルな「つい最近の出来事」だったのでしょう。現代ではいろいろなことがありすぎて、もう100年前の日露戦争なんて聖徳太子と変わらないような歴史上の遠い過去ですが。なんて、僕だけかな? 最近農繁期でだめだめだと思ったのは、講座終了後、受講生の方に「トンキン娘」の歌詞で le p'tit z'oiseau となっているけれど z は何ですかとご質問いただいて、答えられなかったことですね。後で考えると、それは間違ったリエゾンというやつの一種で、確かに母音の連続は避けられるけれども、本来ないZを読んでしまっているという、いわゆるビロード le veloursという現象なのでした。「ええと、デゾワゾーのゾの亡霊なんですが、、、」とかしどろもどろなことを言いましたが、あれではなんのこっちゃ?だったに違いなく日々是反省。しかし、なんでビロードなんだろう。存在しない t を読んじゃうのが皮 le cuir なのも謎だし。世界は謎に満ちてますね。

見物聴物(草間さん、チンパン探偵)

2005年07月08日 23:47

草間彌生氏がテレビに出てるのを見てしまう。昔からとても怖い。作品よりも先に工作舎から出た最初の本を読んだのがいけなかったのか。怖いです。怖いよう。 彼女の故郷松本の市立美術館には前庭に巨大なオブジェがあり、タクシーで通りかかって、ちらっと見て驚愕しました。運転手さんに「あれ、怖くないんですか。みなさん平気なんですか」って訊いたら(よく考えると結構失礼)、「立派な芸術でしょう」と軽くいなされました。タクシーの運転手さんって大人ですよね。免許持ってるんだから当たり前か。 「愛はとこしえ」という草間先生のメッセージと、 「やるのとやらないのとはまるで違う」というビート氏の言葉がちょっと胸にきました。 二人とも当たり前のことを言っているのになんで迫るのでしょう。 かたや微動だに(瞬きも)しない、かたや落ち着きがないと芸風(!?)は正反対なのですが。 そういえば子供の時家にあった日めくりカレンダーに「やってしまえばやれることをやらずにいるから悩みとなる」というのがあったなぁ。あのタイプの毎月同じ日に同じ格言の出るカレンダー最近見ませんね。「レーイディー・ボーデーン・さ~いき~ん・見な~いねー」という失礼な歌もありました。中村一義ももうすぐデヴュー10年。犬と猫の雨が降ると梅雨も終わりです。 図書館に注文したCD『ファンタスティックパーティー』が届いてて、引き取って聴きました。 一度聴いて気が済んだというのが正直な印象。「ジョー90」とか普通にロックだったのが意外。ピアノじゃなくてコンボオルガンの4リズムと歌。コーラス。「謎の円盤UFO」はBSTばりのブラス・ロックだったりする(それは言い過ぎか)。「スティングレー」と「フリッパー」は記憶通りの少年合唱。「フリッパー」の「ぼくのフリッパー/海の底深く/消えていく/その影」というのは不吉な印象があって記憶違いだと思っていたのに、それもそのまんま記憶通り。『グランブルー』ですね。 一番聴きたかった「チンパン探偵ムッシュバラバラ」の声がいわゆる「ケメコ声」だったのが本当の記憶違い。残念! 僕の記憶の中では「宮地おさむ」のような太い声だったのに。 結局「スペース1999のテーマ」を聴いて上條恒彦の偉大さを感じたのでした。編集者もそう思ったのでしょう。CDのトリでした。

アコーディオンレッスン・貰ったチケットのコンサート

2005年07月07日 23:46

今日は金子先生のアコーディオン・レッスンでしたが、当方農繁期で時間が取れない上に立川での演奏をmp3に落として聴けるようにして頂いたのを聴いてしまって練習欲やる気レスで、はて、これでレッスンを受けて良いのかという惨状でした。パリ空にもクンパにも挑戦していないので辛うじてさらってある「サードマン」を弾こうとしたもののへろへろ。仕方なく As time goes by を弾くと、これまた惨憺たる出来で、やりなおしになりました。一度上がっていたはずなのに…。。。 7月になって季刊10周年を迎えたアコーディオン・ジャーナルをいただきました。僕の本体がコンサート評を書いているのです。そこではなんとなく現代音楽専門というキャラが固定しつつあるのですが、それはさておき先生にお教えした500円DVDからネタがたくさん拾われているのが嬉しい限り。でも一番ぶっ飛んだのは編集喫茶室(編集後記)に万久先生がお書きになった「氾濫する情報に眼を配ることを怠ってはいられないがテレビにひきずり込まれない、夜12時前のNews・ Japan滝川クリステルのひとときだけは見て床につきます」。先生元気だなぁ。美人チェックに抜かりなし。 夜は昨日貰ったチケットで池袋芸術劇場へ。フィンランドの室内オケと、奇跡のピアニスト。武満の映画音楽のワルツと、チャイコフスキーの弦楽セレナーデ(オー人事のアレですね)が曲の良さで印象に残りました。それでも明日は御礼を言うよりも「ちゃんとコンサート行きましたよ」と頂いた相手に言うだろうと思います。現代曲は難しい。アンコールもフィンランドの現代曲でしたが、ちゃんと調性がある曲で、やっぱり調性があると安心して聴けますね。 貰ったチケットに関係して、関西弁に「貰い乞食」という言葉があるのを思いだしました。「クレクレタコラ」というか「おねだり猫」というか、そういう人は僕が子供のころはそう言われて尊敬されなかったものです。ちなみにものを拾うと「ひらい乞食」と言われました。「らい」が合わせてある繊細な言語感覚であります。 コンサート後は名店ブラセルズから独立した人のベルギービール専門店に行ったのですが、やっぱり一人で切り盛りする限界を感じる営業でした。フードメニューが弱かったり生ビールサーバーが一種類しかなかったり。ヒューガルテンの白生はおいしかったし、95年のフェスティヴァル・春のポスターを見て、あれから10年かと懐かしめたのは良かったけれども。ねぇ、レリタミツコが日本に来てから10年なんだね。

チケットを貰った

2005年07月06日 15:25

昨日ピンフロ話をした同僚に「後で考えてみたら僕は中学生の時からああいうことを言ってるんだ。人間って変わらないね」と話す。ロックを聴いて幾星霜、さすがにピンクフロイドのデビューからは聴いてませんがお付き合いは長い。同僚は僕よりも若いけど、ライブエイトのセットリストを知りたがる程度には、ピンクフロイドが好きだし、「昨夜仕事をしながら i-pod を使っていたら wish you were here が流れて昼間話題にしたところだけに余計に良かった」とも。「どっちの立場で聴くの?」と思わず突っ込む。「どっちの立場にもなれるのがヤヴァイ」なるほど。 僕らの話を耳にして「ピンクフロイドだったら俺に任せろ。聞き捨てならない」と乱入する御仁有り。曰く「ピンクフロイドはロジャーウォーターズとデイブギルモアはお喋りだけれどもリックライトとニックメイスンは寡黙だ」「そもそもはシドバレットが居たけれども××になって死んだ」「一番良いアルバムは『エコーズ』」センスないなぁ「豪華ドラムバトルただしニック・メイスンVSダグ・クリフォード(CCR)みたいなっ」位のことは言ってよと思いつつ「『エコーズ』ってこの間出たベストですか。あれは何故か良いですね」と話を合わせるが「そんなものは知らん。高校2年でウィーンフィルに出会ってロックは聴かなくなった」ととりつく島もない。そうかカール・ベームそんなに良かったか。たしかにあの日本公演は多くの信者を作ったのね。それで反射的に「エコースが入っているアルバムはオプスキュアド・バイ・クラウドですよね」と嘘をついてみるが、それでも無反応。それからも「ウドーのコネがあるのでストーンズを聴けると思ったけれどミック・ジャガーが逮捕されたので来日がキャンセルになった」「キース・エマーソンが後楽園でシンセサイザーにナイフを投げた」など楽しいロック談義は続く。パラレル・ワールド。 そんな楽しい職場ですが、今日はクラシックのコンサートチケットが僕の所に流れ着きました。どうも到来物らしく「私は行かれないし、~さんにも声をかけたのだけれども」というお話で、いかにも下流気分。この場合「チケットを貰う」から借りになるのか「代わりに行ってあげる」から貸しになるのか不明ですが、けっきょくニュートラルなのだと思います。思えばニュートラルに生きることが人生の目標でした。そういうのって、どういう高校生だろう。 コンサートって思い入れて行くことも、出会いで行くこともあるけれど、ニュートラルに行くのも良いものです。流石にコンサートはコンサートなので嫌なことはないのです。明日は楽しめるといいな。(ここまでは午後に書きました) 夕方、仕事で池袋へ。まるで明日の下見のようです。zozoï というカフェを発見。やっぱりフランス・ギャルのファンがオーナーなのでしょうか。



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