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ネコソギ(中)読了

2005年06月30日 20:54

ユリイカが特集を組んだから! というわけでは決して無く、おそらくもう忘れてしまった些細な理由で西尾維新を読み始めたんだけれど、やっぱりヤラレタ。ご多分に漏れず「バックスクリーン直撃のホームラン!ただし始球式みたいな!」の巫女子ちゃん的なレトリックに一番やられ。二番は、二番は、、、。。 理由が思いつかないんですが、最新作は買うぐらいにはファンなんだから許してくれるだろう。って誰が? やっぱり言葉の奔流ですかね。単語の羅列というと悪意か。最新作はそういう意味では、ちょっと失速した。キャラクターをバンバン立てるのも失速。3部作の真ん中だから意図的なダレ場なのか。でも面白いよ。地下鉄2駅分歩きながら読んで、深夜にどうしようもなく最後まで読んだ。そういう面白さ。 ネコソギ読みながら歩いていたら大学の近くに御飯屋さんがオープンしていて鈴木杏樹がお花を贈っていました。ただそれだけなんですが。 歩いていたのは東京アコーディオン教室の帰り道でした。 日曜日のイベントで金子先生の曲を弾きたいと恐る恐る申し出たら、実に実に丁寧にレッスンして頂いて、ここしばらく弾いていた甲斐がありましたが、楽譜にないコーダやオカズを沢山教わり、日曜日までに消化できるでしょうか。「光と陰」も先週よりはましな程度。数々の課題をこなし終えるのはいつの日のことでしょうか。 前日に声楽家から伺った「姿勢で声が判る」説を先生にお話しすると「岡田博氏は一音聴けば実力が判るといっていた」とおっしゃいました。「本当に判りますか」と重ねて伺うと「だいたいね」と。金子先生も同意見のようです。「ラテン語の実力は1行音読させれば判る」という説(これも恩師から直に教わった金言です)もあるし、なんだか剣豪の果たし合いみたいだけれども、ハイレベルとはそういうことなのでしょう。
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信じられないが本当だと思うこと

2005年06月29日 00:06

今日は、声楽の専門家とディナー;というかご馳走になり色々と楽しかったりためになったりするお話を伺うというスペシャルなソワレでありました。 で、一番印象的であり、ウッソだろうと思いつつも超納得したのは歌手の実力に関するお話: 歌の上手い下手ってステージに登場した佇まいを見た瞬間に判ってしまう! んだそうです。ああ、この人はこんな歌を歌うんだろうなという印象を裏切られることはない! これは怖い。まるで名人同士の真剣勝負で抜く前に「参りました!」の様です。もちろん凡人は無謀に斬りかかってばっさりやられちゃうんですね。 他にもニューヨークでミュージカルを楽しむにはというハウツーとか勉強になったし楽しかった。いや楽しくなければ勉強じゃないか。

『インディア・ソング』など

2005年06月28日 00:53

『さよなら、ぺとぺとさん』を読了。これで木村航を4冊読んだことになります。素晴らしい。最新作とデビュー作も図書館が入手してくれることでしょう。 『ネコソギラジカル(中)赤き制裁VS.橙なる種』も無事ペリカンで届きました。図書館だと予約待ち20人だもの。待ちきれないよ。果たして今夜読んでしまうでしょうか。そして僕は『失われた時を求めて』全巻を一気読みして一週間無断欠勤し、職を失ったマルグリット・ユルスナールのようになってしまうのでしょうか。たぶんならないな。職を失っても将来フランス翰林院に名を連ね不滅の人になれる訳じゃないものね。職を失うのは簡単だけれど。 それに今夜はおなかいっぱいなのです。アマゾン様に無料で届けていただくために前から買っておこうと思っていた、もうひとりのマルグリット、デュラス様の『インディア・ソング』を注文したのですね。それで、なんとなく見てしまった。 冒頭の日没でノックアウト。また自分がよく憶えているのに呆れる。確かに最初のベトナム語の歌などカセットに落として死ぬほど聴いる。だがそれににしても…。歌が終わると画面を鳥が飛ぶ、それから女性2人の掛け合いのナレーションが始まって第一声は「モンディアン(物乞い女だわ)」。ディテールが次々と脳裏に甦り、その通りに画面と音声が展開する。 映画はとにかくエモーショナル。ずーっと見てると訳もなくうるうるしてしまって、それを見透かすように「どうして泣いているの?」というナレーションが飛んでくる。カウンター。 デュラスって実は簡単なんだけれども情動の振幅が激しいから作品に接しているときは混乱してしまって凄く前衛に感じるんですよね。これって、木村航氏の『ぴよぴよキングダム』『ぴよぴよキングダム2ときのしおり』を再読、というか連続二回読み(映画だとロードショーで二回見たりしますよね。本でやるのは久しぶり。要するによくわからなかったんですよ。で、二回目は異常にわかりやすいの)して思ったことと同じだったりするんだな。とオチがついたというか話が一周したので、今日はここまでです。女性は偉いね。 『インディア・ソング』再見して、といっても真剣に見たのは最初の30分くらいで、あとはトロマンジェな感じでBGM代わりに流しているんですが(ついさっきミシェル・ロンダールが叫んだ)デュラスの映画は『インディア・ソング』でさえ思った以上に「見立て」の世界であります。どうみてもインドではないし、大使館にも見えない。でもそうとしか思えないマジックリアリズム(この用語は誤用)。やっぱりとんでもない映画ですね。と、いきおいで『ベネチア時代の彼女の名前がカルカッタの海岸に』のヴィデオをフナックに注文してしまった僕はこれで老後も安心なのだろうか? あんな映画を繰り返し見るのは不気味だな。

偉い人たち

2005年06月27日 22:15

今日は本当は別の話を書く予定だったのです。昨日の深夜に西尾維新の新作が既に発売されて数日経っていることを知り予定では速攻ゲットして今頃は感想を…。しかし近所の書店では売り切れだったのでした。仕方なくアマゾン発注。アマゾンは偉いですね。もうすでに発送されているので明日には届くでしょう。ああ徹夜で読んじゃいそうだ。そろそろ農繁期なのに…。 僕の人生をいかに読書が蝕んでいるかは振り返る必要もありません。最近でさえ森博嗣のS&Mシリーズ読破がどれほどいろんなものを破戒したことか。それに3年近くアコーディオンが人生の時間を奪っている。今日も正味1時間半練習してしまった。 なんて話を枕に西尾維新を語る予定だったのですが(お気づきでしょうか? 音楽に関する記事を書くというポリシーをちょっと引っ込めたのです。もう何でも書くのだ)本がなければしょうがない。いやもちろん『まぶらほ』や木村航について書いたっていいのだけれども、どちらも読みかけだからね。(では何故新刊を読む?) で、きょうはチェスの話です。 また道楽を増やしているのかと呆れられそうですが、というか自分でも呆れているのですが4月からチェスを始めました。正確にはチェスサークルを始めたので僕は世話人でスーパー初心者です。サークルでは1局も指していません。学生のころ同居人と一夏チェスに凝ったことがあるのですが今思うとあれは間違ったルールでやっていた。ポーンの取り方が違った。しかもキャスリングやアンパッサンはなし。とりあえずは年若い友人たちがゲームをするのを眺めています。密かにコンピューターで練習しているばかりです。 で、今日はサークルに彼らのかつての指導者が遊びに来てくれたんですね。この方が実は日本チャンピオンを2回も取った偉い人だったりして、アドヴァイスの的確でエレガントなことに感動しました。偉い人の話す真理は単純で深遠です。金子万久氏の音楽上のアドヴァイスに通じるものがあります。万久氏も「日本のヴァリエテの(アコーディオンにおける)ナンバーワン」ですからね。 ここまで生きてきて良かったことのひとつに本当に偉い人に触れることができたいくつかの体験があります。最初はなんだろう。ピアノの園田高弘氏の公開レッスンだろうか。でもあれは見ただけだし別に感動しなかった。凄く小さかったし。安部圭子先生と木琴を弾こうなんていうイベントに「公民館」で参加した記憶もあるけれども、これも非日常的な体験であることが先立って内容は憶えていない。その公民館が後年の少年合唱団の練習場所だったので、祝祭的な記憶も帳消しになってしまったし。う~ん。 とはいうものの、どちらもインパクトのある体験としていまだに憶えているのだから、偉い人に接するのは意義のあることだと思いますね。 結局、偉い人の偉さを知るのには子供じゃいまいちダメなのと、本当のところは日常的に接していないとわからない、そんな日本一の偉い人でなくても常日頃接する人たちに感心したり感動することもあるなぁというのを、とりあえずの今日の結論として、毎日を大切に生きようとなんだか前向きになってしまったチェスサークルでありました。

音楽クイズ

2005年06月26日 22:48

「私が8歳の時に両親がナイジェリアからイギリスに私を留学させました。私が父親のように実業家になることを望んだのです。学校はイギリス南部の小さな街にあり、その地方で初めての黒人だった私は最初こそ奇異の目で見られましたが、友人を作ることもできましたし、そこで成長するうちに私は完全に独立独歩の人となったのです。18才の時に音楽家になることを決意し家族には黙ってロンドンに出ました。私の教育に多額の投資をした両親のことを考えると辛い決意でした。2年後にパリに来ました。生計を立てるためストリートやメトロでプレイしました。ストリートライフを大いに楽しみました。そこには聴衆との距離がなかったからです。そのころレコード会社のディレクターと出会いました。ある日パリの小さな通りでプレイしているとカフェのテラスにいあわせた彼が私の才能を認めてくれたのです。それからの10年間で彼の会社で4枚のアルボムを録音しました」 さて、私は誰でしょう? これは先週行われたフランス語検定試験の2級の問題文なのですが、もちろん最後の問題は出題されていません。引用部分が穴埋めになっていたんですね。たとえば最後の問題は「レコード会社」のところを「保険会社compagnie d'assurances/レコード会社maison de disques/商社société de commerce」から選ぶというものでした。商社だって maison の方がすわりがよいのにやっぱり選択肢だから変えなくちゃいけないのか出題も大変だなとか、そんなことはどうでもいいんですが、このミュージシャン誰のことだと思います? やっぱりキザイア・ジョーンズですよね。パリでバスキングしていたのでフランス語の試験問題に選ばれたのでしょう。仏検の2級は5年前にレザンフォワレを出題した前科があります。そういえばあのときも固有名詞は出されなかったので、わかるひとにはわかるという出し方でした。 ところでフランス語では je jouais dans les rues ou dans le métro となっていたのは英語だと busk ですよね。フランス語にはそういう言葉はないのかしらん。 今日は1日家にいたので話題がありません。ずーっとフランスアンテールを聴いているのでなんだかフランス語のことを考えています。 しかしなぁ。どうせなら、テテとかコルネィユで問題が作れなかったのかな?

アコーディオン室内楽(田ノ岡三郎氏)など

2005年06月25日 00:25

今日は午後にアマチュア・ジャズ・バンドのステージのPAを務めました。ヴォーカルにリバーヴをかけたりフルートソロにリバーヴをかけたり(こればっかり)クラリネットソロの音色をいぢりまくったり結構楽しめる調整卓。マイクのセッティングから全部自分でやるので勉強になります。チャンネルごとにエフェクトをかけるとか、モニタースピーカーを出すとかだんだんわかってきました。ばらしまで一気にやったので疲れ果てました。 それから、昨日帰宅した届いていたアゾラ他の書いたミュゼットの本豪華CD付き絶版を眺めて幸せ。http://www.amazon.fr/exec/obidos/ASIN/226302784X/qid=1119712068/sr=1-39/ref=sr_1_0_39/402-2348166-4314557 入手できない本の話はいぢわる? でも結構オークションに出てますよ。 夜は田ノ岡三郎氏のライブ「アコーディオン室内楽」にお邪魔しました。クラシック出身(フェリスのご出身です)の女流チェリスト井上真那美さんがゲスト。バッハの無伴奏とかも聴けて幸せでした。情けなかったのは終演後にサブちゃんに「こんど『ジェルメーヌ』聴かせてください」とリクエストして「どんな曲でしたっけ」と言われて歌ったら「パッション」を歌ってしまったこと。結局立川では「パッション」を聴かせて貰う約束ができて良かったといえば良かったんだけれど…。結構複雑だなぁ。

マチューTV

2005年06月24日 19:04

昼食前に数人で共同で使っている部屋に行くと同僚がDVDを見てました。それが『クリムゾンヴァー』なのでびっくり。それ僕のDVDです。しかも未見。マチュー・カソヴィッツの『エーヌ』か『アササン』が欲しかったんだけれども入手できずに安売りだったから買った。なんとなく見る気にならずにいて人に貸したはずだったんだけれど…。そこにあったの。 なんとなく画面を見てしまう映像が印象的なシーンでした。妙なセンスがある。これは見なくてはと持ち帰ることにしました。僕のだし。週末に見るでしょう。 マチュー・カソヴィッツはむしろ役者として評価している人が多いだろう日の出ずる国の事情。『アメリ』のニノとか、ニコールキッドマンがロシアからインターネットで募集した花嫁として来る話とか。その『バースデイガール』って僕は評価しているんだな。ラストで幸せになるし。『カサブランカ』のラストをハッピーエンドだって言い切る僕ですから信用しちゃいけませんが。 amazon.jp で検索したら、しばらく入手できなかった初期3部作がボックスで売っているのも発見。結局買ってしまいそうな予感。 今日は對馬敏彦師匠のYTTが更新されていたけれども、ここでもゼブダを中心にシテの問題、多文化共存の問題が熱く語られている。僕が一番リアリティを感じるのは『エーヌ』で語られていた世界だから、あの映画を見直したくなる。 夕方、日本橋に行くために自転車で東京駅北口のガードをくぐる。手前にオレンジ色の中央線が奥に緑のラインの山手線が走る。新幹線も見えれば完璧だと思うと緑の東北新幹線が上野に向かうのが見えて車体には「つばさ」と書いてあるのが読めた。小さな男の子ならば大喜びだろうと思ったら、大喜びしている自分を発見。僕の中ではまだまだ小さな男の子が健在らしい。早く大人になりたいものです。 日本橋では三越カルチャーサロンで大野修平先生の講義を聴かせていただく。テーマは「オーシャンゼリゼ」なのに、ピアフの les grognards もかけてしまうのが大野流。この曲が凄かった。最初から朗読風にぐいぐい来る。ブリジット・フォンテーヌのようで、もっと迫力があり、ルフランでは軽々とメロディーに乗ってしまう。名人芸。器が違う。 講義後に、飲みに行こうとするとブリュアンのポスターの店があり、ロートレックという名の店内はロートレックの絵にあふれていました。ビール、ワインなどご馳走になり、ニノ・フェレールのトリビュートと、アダモやゲンズブールのDVDを強く勧められました。聴かなくっちゃ、見なくっちゃ。

ピムスを飲みながら(含む金子教室の話題)

2005年06月23日 21:37

今日は金子先生のレッスンだったのですが、特別なことはありません。この1週間僕的には集中的に練習した「アズタイムゴウズバイ」は練習をしてきたことを認めていただいて「自家薬籠中になりつつありますね」とお褒めいただいたのですが、それにしても暗譜にはもう一歩ですし、今日は「美しく青きドナウ」がへろへろだったのですべて台無しです。 そして宿題の数々: ・「光と陰」(イタリアのワルツ)をもっとさらうこと。 ・金子元孝曲集(全音の)より「第三の男」 ・ボタンアコでも「ラ・クンパルシータ」は弾けた方が良いよ。 ・「パリ空」はシンキョウ社の譜面で弾きましょうか? さて、来週までに、どれができるやら。この宿題は先週も出たのです。 すっかり夏ですね。毎日曇り空なのでイギリスを思って ピムス・ナンバーワンカップを飲んでいます。 リキュール類というやつで、いろんな薬草が入っているらしくイギリスのパブの定番!らしいのですが日本では一時入手できませんでした。近所のバーが持っていたんだけれど注文してもおいしくないのです。「ケチって薄く割るからだ」と思ってなんとか自宅で心ゆくまで濃ゆいピムスを飲むのが夢だったんですが、最近(サンセヴェリーノのライブの帰り)渋谷で瓶を見つけて、それが驚くほど安く満を持して家で飲んでいます。ところが、好事魔多し。何故かやっぱりあんまおいしくないんですね。ピムス見つけた店で買ったウィルキンソン辛口ジンジャーエールで割ったのが一番おいしかったのですが、それ以来いろんな割り物試してみるものの、どれもこれもピンと来ない。今日は三ツ矢サイダーで、これが意外にそこそこイケてるんすが、あのロンドンの、××(観光で行った田舎。当然地名を憶えていない)のパブの美味しいピムスはどこへ行ったの。キュウリ(ピムスにはキュウリのスライスを入れるのが本式なのです)がないのがいけないのかなぁ。と思いつつも実は正解は判っています。イギリスの風土がなければピムスはイケてないのです。同様の飲物にゲンズブールも愛した「リカール」(102だっけ)などのパスティスがありますね。あれも日本で飲んで美味しいと思ったことが名店オバカナルにおいてでさえ一度もなかったのですが、南仏でフランス人の家に御夕食をおよばれしたときにアペリティフでいただいたパスティスは実に実に美味でした。そういえば秋田でご馳走になった日本酒も絶品だったなぁ(日本酒は苦手な僕ですが)。いまさらなんですが某神楽坂の音楽出版社勤務のO君あのときはありがとうね。

巴里に行きたくなりました

2005年06月22日 00:32

昨日の日記とか、突然書き換えたブログの紹介文とか、あまりにへろへろで大笑いです。 カタカナを変換していなかったり、文章がとっちらかっていたり。 でも、一応は意味がとれるし、これもドキュメントなので日記はそのままにします。紹介文は直します。 誕生日が来なかったというのは、仕事でテンパっていてそれどころじゃなかったので、オンライン(ネット)でもオフライン(現実)でも話題にのぼるチャンスがなかったということです。僕自身誕生日は来ないことにしていました。その後仕事も一段落して、無事にアニヴェルセールを迎えたことは言うまでもありません。プレゼントも貰ったし。お祝いの言葉もいろいろ。ありがとうございます。 さて、事件です。壺中天々さんというかたからブログへのコメントと誕生祝いのお言葉をいただきました。実はこのブログに面識のない方がコメントをいただくのは初めてでした。おぉ、新しい地平が開けているのかもしれない。天々さんのブログも拝見しました。なんだかすごおく羨ましい毎日をお送りのようです。天々さんのブログには、時折パリのライブカム映像のエッフェル塔が貼り付けてあるのですね。そこから僕もライブカムを色々見たのですが、一番胸に迫ったのはライブでないTV5のモンタージュ映像でした。流石にプロの仕事ですね。アレキサンドリア3世橋のあたりとか散歩したいなぁ。 http://www.tv5.org/TV5Site/adm/total.php?url_vid=ba_paris.rpm&zone=Europe&dest=Paris とてもとてもパリに行きたくなりました。 今年のヴァカンスは7月19日午後からで、仕事は8月18日から。でも、パリには行けそうもありません。8月上旬にはツシマボスの来日もあるだろうし…。

鈴木亜紀を聴いてきた

2005年06月21日 01:25

結構酔っぱらっているので、詳細は後日。といいつつも後日は永遠に来ないのかもしれませんが…。 さて、今日も鈴木亜紀さんを聴いてきました。それで元気になって20日近くのブランクをむしして、おめおめと帰ってきたのです。 本当に大変だったんだよ。誕生日が来なかったり:だって誰も僕の誕生日に言及しないのだ。システムXさえも、もはやお祝いは言ってくれないんですね。目の上のたんこぶのような仕事の重圧に負けていたので、我が稼業の農繁期が終わるまでお待ちいただいてごめんなさい。文章は未完成でもアクセス解析はちぇっくしつつ、こんなに更新できない日記を読みに来る常連の皆様に心を馳せておりました。 閑話休題。 鈴木亜紀ライブは素晴らしかったですよ。今晩はピアノマンのリクオさんがゲストで亜紀さんもノリノリで自分が一人でカウンターの止まり木に座っているのかが謎でした。あんな素敵な音楽は好きな人と一緒に聴かなくっちゃぁね。 ところでリクオさんがゲストにいらしたために亜紀さんの個性が対照によって、より際だちました。リクオさんの方がピアノも歌も滑らかなんですね。僕は亜紀さんの歌とピアノが紙ヤスリのように心に強く触れる(ああ、それってドルッティ・コラムのファーストアルバムだ。初版のジャケットが紙ヤスリなんだよ)のは、もしかしてPAの都合とか会場のピアノがフルコンでもコンサートでもなくって昔で言うところのゲー・シリーズであるせいかと思っていた。けれども「音楽では理由はひとつではない.ひとつだと思った人から学問の前線を離脱する」って誰の発言だっけなぁ。もしかすると僕か。僕も同感であります。 ではチャオ!

夢の続き

2005年06月04日 14:36

今日は朝からすっかりいろいろ主に体調がだめで、その結果午前中ベッドにいたんですが、そうすると夢を見続けるんですね。 で、見た夢は以下の通り:  レストランで食事をしていると呼ばれる。  別のもっと良い場所の広いテーブルに恩師がひとりで食事をしている。  お店の人が、「お二人ともカワマス(そんな魚いるのか)をご注文ですが、あいにく大きいサイズしかございませんがよろしいでしょうか」。  見るとシャケのような魚が向こうの壁の木のラックのようなものに下げられている。  なるほどこれを見せる為に呼ばれたのか、しかしデカイのであれを食べるのは大変そう。  「注文したら全部食べなければならないんでしょうね」と訊くとそうだという。  考えた揚げ句「先生と一緒に半身ずつ食べてもいいのですか」というと店の人は構わないと言う。  先生は微妙なご表情だけれど否定もしないのでスタッフは僕が移動する準備をすすめる。 ここで目が覚めました。レストランは白いテーブルクロスで給仕も黒服の割と上等な店。言語は日本語かフランス語だった。料理はフランス料理っぽい。問題の恩師は、一番お世話になった文字通りの恩師なのだけれども、少し疎遠になったのを気にかけている近年。 こういう微妙な夢は気になりますよね。重大な意味があるのではないか。 どうしても続きが見たくてベッドの中で頑張ったけれどもダメでした。終わった夢には意味はないし、続きを追うのも不可能だというメッセージだったのかもしれません。 そんなことを考えていたら耳にとまったフレーズ:若いころは生地が好きでためていたけれども場所をとるだけで使わなかったし、もう使う気もないし必要がないから。 「日本の辞書には『夢は叶わないもの』と書いてあるけれど、そんなの夢じゃない」とCHARAの歌にあったなぁ。でも外国の歌であるミレーヌ・ファーマーのrêverはj'ai rêvé queの連発で「夢見たけれど叶わなかった」歌。最後なんかj'ai rêvé qu'on pouvait s'aimer /j'avais rêvé du mot AIMER(私は愛し合えるという夢を見た/それまでは愛という言葉に夢を見ていたから)で本当に救いがないのだ。

10年一昔あるいは10年一日

2005年06月01日 23:23

最近本当にテレヴィを見なくなったのに,たまたま点けたら「吉川ひなの」ちゃんがドラマに出ていました.これがとても面白くて原作の松苗あけみ先生も健在なんだなぁとか,ひなのの演技力は特殊だなぁとか,そういえば彼女はカンヌ女優なのだとかいろいろ思ったのですが、一番しみじみしたのは彼女を伊勢丹のポスターで見てから10年の歳月が経っている事ですね. このあいだの日曜日にサンセヴェーリーノのライヴ(ここに記事を書くべきなのはわかっています.大野修平先生の日記の記事に付け加えたいネタもあるし)に行ったのですが,そのために赴いた渋谷がいろいろ変わっているのがやけに目についたものでした. センター街の入り口の門がなくなったとか,アイリスメガネが改装したとかそういう小さな変化. もちろん変わったのは街ばかりではないのだろうな.10年会っていない人には僕が僕だとリコグナイズできないんじゃないだろうかとセンチメンタルになったりします. そういえば先日のフレンチナイトのこと(これも自分で記事を書かなくちゃいけませんね.申し遅れましたが記事仕上げられない病は続いているのです)がアコーディオンを弾いて下さった熊坂さんのホームページの日記にありました.なんと写真があるんですよ.まいったね. なんていいながらリンクしちゃうけれど、それはその写真があまり明確でないから許せるんですね.先月の某所で撮られた写真なんて自己嫌悪してしまいました。撮影者や紹介者のせいではなくて僕が悪いのだな。あっちだと10年会ってない人には本当に僕だとわからないんじゃないかと思えるのが救いといえば救いか。 ちょっと10年後のことも考えたりしている今日この頃です.



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