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ライトノベル序説

2005年07月10日 23:07

この日も農繁期まっただ中で仕事は待ったなし。にもかかわらず『涼宮ハルヒの動揺』を読了。食事中に仕事はできないけれども本は読めるからね。これでハルヒのシリーズは『暴走』を残すのみとなり、読む順番が刊行順とここで逆になってしまって、前巻の内容が仄めかされているので、図書館で借りて読み続けているんですが、いっそのこと書店で買ってしまおうかと一瞬考えてしまう。そのくらいに面白い。あと文章が実にイキがイイ。活きが良いというよりイキがイイっていう感じ、ただし賞味期限短めみたいなって叫びたくなる。実は男の子の一人称で「俺」な小説は『狼男だよ』以来苦手な俺だが馬鹿な男の浪花節てなもんで、良い物は良いのです。『暴走』を僕の前に読む2人の人に早く読んで頂きたいものです。早く来ないかな。 ライトノベルは、おそらく莫迦にされているというか差別されている。僕も「それ、子供が読む本でしょ」と言われたりして、基本的にその通りなので「おっしゃるとおりです」と言うしかないのだけれども、そもそも氷室冴子の『クララ白書』から読んでいるし、SF者として新井素子をチェックすればこれまたコバルトだし、「まんが家満里奈シリーズ」の第1巻はヴァネッサ・パラディを日本に紹介した嚆矢であり、そのときにパラディスと表記したのは、おそらくデュラスが日本に紹介されたころはデュラであった伝統を踏まえているのであろう、ヴァネッサ嬢の初期のテレビ出演で司会者がパラディスと紹介しているビデオもあるしなんて蘊蓄も傾けられる。そのころは、SF的ライトノベル(ジュブナイルと称した。あるいは少女小説、もしくはソノラマのやつ)は漏らさずチェックの体制で、とり・みき画伯のイラストも素晴らしい『彼女とストンプ』とか、大原まり子!大原まり子!大原まり子! ああ『コスモス・ホテル』特に「若草の星」は良かったなぁ! なんて、いくらでも盛り上がれます。でも90年代はやっぱりSFって読まなくなるのです。 それ以降は小林めぐみを「発見」したのを唯一の例外に、その辺も読まずにというかなくなった気がしていてファンタジーは山ほどあったのに食指が動かずにいたのですが、この2,3年はどんどんラノベを読むようになりました。なんとなく書店で平積みになっていたゆうきりん(さてなんでしょう)や、全くライトノベルなどない書店に、それだけが置かれていた乙一(棚を作ってた人のメッセージを感じて立ち読みしてみたら大当たり)を入り口に、マリア様も見ているし、まぶらふし、撲殺天使も降臨、自動的、その流れ(動物化のヒトのお勧めライン)で nishiOishin 。最近森博嗣の S&M 全10冊をめでたく読了し、短編集の番外編を読んで『四季』に挑みつつあるのも、新本格絡みからではないのです。新本格はウブメ(何故か変換されない)とか流水院とか読んだけれど、ちょっといいやな感じ。やっぱり僕が好きなミステリは若竹七海氏に、最近では米澤穂信が良いですね。後者はラノベに入れる人もいるかもしれません。新作出たんですよ。もう図書館に来ているので水曜日に借りに行くのが楽しみです。他には金色のネズミ、ウフコックのアレが圧倒的か。最近の収穫はぴよぴよさん、ぺとぺとの紅顔の美少年木村航。処女作もついに読んだから、後は新しい『帰ってきたペとペとさん』を待つばかり。 とにかく読むべきでないものを読むのは少女マンガ読んでたから、どってこたぁないし、お墨付きなんかなくても面白いもの読んじゃうのは、小学校で『ブンとフン』(初版のかなりガタガタな本)が猛烈に回し読みされたり、中学校で筒井康隆がブームを起こしたりしていたのと同じで、おそらく何の権威もなかったのは確実です。もっともツツイスムには山下洋輔の強力な援護射撃があり、エッセイでツツイストに「マグロマルとは何か」と質問して知識を確認し合う亜ピソードなどに影響を受けているに違いないのです。この文章も、その流儀すなわち仲間を峻別しつつ部外者を引き込もうと書かれています。 大量に出版されているのがラノベが面白い理由のひとつなのは確かで、幾つかも出版社が複数のシリーズで毎月何10冊と(とりあえず2005年7月は80冊以上)出ているのだから、傑作がでない訳はないのです。1年間で翻訳されるフランスの現代小説って何冊なんだろう。 この世界では、文庫本のシリーズのことをレーベルと呼び、書物をタイトルと称します。もうこれってCDと同じノリですね。レーベルの個性が非常に重要視され、作家よりもレーベルで作品を選ぶ読者も多いようです。イラストレーターが重要視されるのも、ジャケットやプロデューサー、セッションマンでCDをチョイスするロックの世界と近い。その辺も、妙に良い気分です。 結局、現代の空気を吸うために読んでいるのかもしれません。僕だってシェイクスピアやゲーテよりも素晴らしく面白いというつもりはないし、もしかすると、「まぶらほ」の最新刊を読むよりも『幻滅』をもう一度読むとか、結局『チボー家の人々』読み終えていないじゃないとか思わなくもないのですが、それでもドクロちゃんにはもう会えないのかと胸を痛めるのはキャラクターが異常に立っているからばかりではなく、オーソライズされていないジャンルであったパルプSFからアメリカ文学の本流と成り上がったカート・ヴォネガット(ジュニア)がいうところの: 「人生について知るべきことは、みんな『カラマーゾフの兄弟』の中に書いてある。だけども、それだけじゃもう足らないんだ」 ということなのではないでしょうか? (しかし人生について知るべきことはいろんなところに全てあるものですね。幼稚園の砂場で学んだことは、気がついたときには火のついたベッドに寝ていたときにも役立つのでしょうか。『カラマーゾフの兄弟』には書いてありそうな気がします。)
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