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才能の素晴らしさと空しさ

2009年04月09日 22:00

あまり皆さんはご存じないかもしれないPerfumeの「気になる子ちゃん」も終わってしまい、「(なるたけ)必ず見るテレビ番組」がいまや僅かになってしまいましたが、木曜日の「5時に夢中!」は出来る限り毎週見ています。

今日のその番組内でコメンテーターの作家、岩井志麻子女史が東京で上演中のカナダのサーカス団体シルク・ドゥ・ソレイユの今年の演目「コルテオ」を見にいらしての感想で「努力の素晴らしさと空しさ」について語っていらっしゃいました。

素晴らしいパフォーマンスは多くの人々の努力の結晶である。人間が信じられないほどの努力を注ぎ込むことで達成できる成果を目の当たりにすると努力の素晴らしさを実感できる。これが「努力の素晴らしさ」。

しかし、あのようにパフォーム出来る人たちは神に選ばれた人たちであって、常人が空中ブランコをしようと思い立って仮に1日30時間の努力を続けても、あのようなパフォーマーにはなれっこない。つまり「努力の空しさ」もあるのである。

そういう趣旨のお話しでした。

それを聞いて、仮に岩井志麻子女史であっても僕であっても空中ブランコをしようと本気で思って毎日努力できれば、それなりになってしまうのではないかと思うのは甘いのかな。もちろん、最高レベルには達せないし、空中ブランコの名に値するものにさえならないかもしれない。別のものになるかもしれない。でもなにかしらにはなるだろうとか。

最高でないとだめだと思うと、本当にだめだとは思います。誰もが何らかの才能を持っていることは素晴らしい。ただ最高の才能を誰もが持っている訳ではない。皆が同じように持っていては最高の才能ではないのだから。それは空しいことなのかな。
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