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誤訳はさておき

2012年12月18日 22:00

今日の午前中は定期検診で病院にいたのですが,眼科の待合室にはテレビがないのです。代わりに穏やかな音楽が流れています。眼科の待合室は読書をするひとも少なく,皆さん,うっとりと,あるいは,ぼんやりと,はたまた,聴くともなしに音楽に耳を傾けている ご様子。

そんななかで,15 inch のMacBookPro を広げて,PDF とか読んでいると明らかに異端なのですが,本当は目の悪い人こそ電子ブックリーダデバイスとかタブレットを使うべきでしょうね。拡大し放題だし。

それで基本的には音楽は聞き流して読書?に励んでいると,突然音楽が流れ込んできました。それもそのはずグリーグの「過ぎにし春」でした。なにしろアコーディオン合奏で9月のコンクールと10月の発表会で自分が演奏したばかりの曲ですから。

やっぱりオリジナルの弦楽合奏の訴求力はたいしたものです。曲想に関しても,悲しいばかりではなくて,やっぱり春の喜びも感じさせる演奏をするべきだと再認識しました。「過ぎにし春」という邦題は誤訳で,本当は「最後の春」,今年の春が最後の春になる悲しさを歌う音楽だから悲しくなければならないと,最近は強調されていますが,それにしても春の輝かしさを描かないことには悲しみも深くないのではと思われました。年老いた詩人が春の素晴しさを味わい尽くし,もうそれで死んでも良いと思う境地は,単純な悲しみではなく,幸福の絶頂の無常観なのかもしれません。悲しくても長調の曲。

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